追記1
本日杉山勝彦さんとAkira Sunsetさんの乃木坂10年を記念したコラボ配信がありました。番組内でお二人とも生田さんの才能と、それに溺れない努力を絶賛していました。そして乃木坂に生田さんがいたことに感謝とその意味を語っていました。2人にとっても生田さんは大きな大きな存在であったそうです。
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(以下本文)
私がお見立て会に参加したのは、2012年10月23日の新木場スタジオコーストでした。
一人一人が自己紹介をしたりした後、ファンは暫定推しを決めて最後に握手をしながら少しお話できるというイベントでした。
(お見立て会で配られた謎の会員証、、、その後全く使用機会なしw)
生田さんの印象は正直それほど強くなかったのですが、同じ中学生メンバーと比べるとしっかりした印象かな、と思いました。
その後初めての生田さんの強烈な印象は、デビュー曲「ぐるぐるカーテン」をAKBリクエストアワーで前座的な存在でサプライズ出演した時です。
私はたまたま映画館での配信でこのイベントを見ていました。
サプライズ登場でMCをしたのは、生田さんでした。非常にしっかりした話し方で挨拶をして曲振りしました。公式ライバルのいわば敵地に放り込まれたグループの第1声を落ち着いて話し、強心臓だなと感心しました。(理由は後日わかりましたが。。。)
パフォーマンスの後。センター生駒さんが、「私たち乃木坂46には超えなければいけない目標があります。その目標とはAKBさんです!」と泣きながら言った名場面の一つですね。
その後2月のデビューを経て、9月1日 から9日で渋谷パルコ劇場で「16人のプリンシパル」公演が行われました。
私は計9回の公演の内7回観ることができましたが、そこでの生田さんの印象は圧倒的であり、天才の片りん目撃した初めての出来事でした。
「16人のプリンシパル」は乃木坂は当時AKB48が行っていた、総選挙のある意味応用編でもあり、運営が秋元さんから与えられた宿題的なイベントでもありました。
それはなぜか?
AKB48の公式ライバルというキャッチコピーで始まった乃木坂。正直SKE48などの姉妹グループも台頭している時期で、乃木坂46とは? 乃木坂らしさとは? という命題にもがいている時期でもあったと思います。
運営が出した一つの答えは、「16人のプリンシパル」公演での、毎日が総選挙、という過酷なイベントでした。
台本のない中で毎日一人一人が自己紹介や一発芸などを披露して、その結果をファンから採点してもらい、上位者から主役、準主役が決まり、役がもらえない人も半分位出るというものでした。あるメンバーたちはメンタルが崩壊し、そのまま乃木坂を離脱してしまうかもしれないと感じたほど過酷なものでした。
特にメンバーの中での年齢差がかなりある中、同じ土俵で戦うのは年少メンバーにとっては辛いものでした。
そんな中、生田さんは1位を6回、2位を3回、つまり全ての公演で1位と2位という圧倒的な存在感を見せつけました。もちろん子役としての経験もあり、幼いころから英才教育を受けていた生田さんと他のメンバーを比べるのは酷でしたが、それにしても15歳時点での完成度と表現力の豊さは本当に天才生田絵梨花を感じるには十分なイベントになりました。
(詳しくはこのブログで書いていますのでよかったらご覧ください)
その後2年間行われたプリンシパルdeux, troisでも生田さんは常にパフォーマンスリーダーであり、ある種のお手本として、目標としてメンバーの刺激になったと思います。
その中でも私が一番印象に残っているのは、プリンシパルdeuxの東京公演最終公演と、大阪での千秋楽の橋本奈々未さんとの同じ役での闘いです。東京では、生田さんが勝利し、そして大阪では2人のみのガチ対決になり、橋本さんが勝つことができましたが、橋本さんがいろんな役で生田さんの影響を受けながら成長しているなと感じたし、それは他のメンバーも同じでした。生田さんは奈々未さんが一時
「女優橋本」と言われる「きっかけ」でもあったわけです。
プリンシパル3回の経験はやがて、メンバーの中で将来の女優志望者を増加させ、それは生田さんが常に高いパフォーマンスでメンバーを刺激してきたからと言っても過言ではないのです。
もちろん生田さんもそんな環境を楽しみながらも、さらに高いものを目指しているなと感じることもできました。
そして2014年の「虹のプレリュード」という初ミュージカルで観た生田さんのパフォーマンスで、こんな凄い人が乃木坂にいてくれる感謝の気持ちでいっぱいになりました。
2014年は乃木坂にとっても生田さんにとってもとても大切な年になったと思います。
大学受験準備のための休業、「何度目かの青空か」での初センター、初神宮ライブ(奈々未さん不参加。。。)、紅白落選。。。
その後生田さんの歌声はセンターポジションにはいなくても常に歌声の音場の中心でしたし、楽曲のキーも生田さんが歌えるレベルに合わせられてきたのではないでしょうか。
乃木坂の楽曲は生田さんありきで制作されてきたといっても過言ではないはずです。
(これは卒業後のチャンレンジでもありますね。。。)
その後の生田さんのミュージカル女優としての活躍は皆さんのご存じの通りです。
歌と、演技、ダンス、正に生田さんの目指してきたもの、乃木坂で培ってきたそのものであり、それは後輩にしっかり引き継がれていくと思います。
乃木坂らしさとは、生田絵梨花が作ってきた。(と、秋元先生なら言うかなw)
でも大げさではなく、生田さんがいてくれた10年と、もし、いなかった10年を想像すると、それは全くちがったグループになっていたはずです。
改めて生田さんに10年間の感謝を言いたい気持ちで一杯です。
PS ぜひ紅白で「何度目の青空か」を観たいですね。あの時のくやしさと、それからの乃木坂の躍進のターニングポイントだったと思います。
PS2 生田卒業委員会の皆様お疲れ様でした。生田生誕委員会さんとは私が橋本生誕をやっている時に凄くお世話になりました。握手会のレーンデコレーションを始めたのも生田生誕だったのではないでしょうか。
初期の混沌とした中で一緒に切磋琢磨した仲間のような委員会でした。本当にお世話になりました。
このフライヤーも初期の乃木どこの生田さんの絵が使われていたり、懐かしい気持ちで一杯になりました。。。











