大学1年の11月下旬、私は母の妹M叔母の口利きで老舗百貨店三越本店でアルバイトを始めた。
叔母の友人が本店文具のS課長で快く相談に乗ってくれた。

Sさんの計らいで外商部で働けることができた。
私は配属されたのは、中元・歳暮の繁忙期に臨時設置される
受付センター。
外商部の営業社員が作成した売掛伝票、配送伝票をチェック・修正して配送センターへ送るセクション。
叩き上げのI課長がセンター長、慶応大ボート部出身のIさんとNさんという女子社員がいた。
アルバイトは偶然にも日大法の先輩SさんとTさんだった。

外商部は本店内にではなく、
歩いて10分弱の大手町日本ビル内にあった。
I課長もIさんもいい人で私たちの無礼な振る舞いにもとても寛容だった。
「課長、タラタラしてないで仕事してください」とか
「Iさん残業代稼ぐためにゆっくりしてんじゃないですか」など
生意気な言動を頻繁に言っていた。
今から思うと生意気な小僧によくぞ我慢してくれたと心から思っている。
先輩Sさんは面白い口癖を持っていた。
語尾に「知らねえけど…」とつい言ってしまうのである。
ある日Sさんと品揃えを社員から依頼されて本店内を歩いていた時、
お客様から
「○○売場ってどこかしら?」と尋ねられた。
私服で勤務していたが、胸には“実習生バッジ”を付けていたからである。
するとSさんは、
「それはですね…」と丁寧に行き方を案内していた…でも…
「知らねえけど…」と語尾にうっかり一言!
キョトンとするお客様…、申し訳なさそうなSさん…だった。
日本ビルの三越外商部にも社員食堂はあったが、
メニューが貧弱で味もそれなりだったのですぐに飽きてしまった。
しかし有り難いことに日本ビルと隣の朝日東海ビルの地下には、
多くの飲食店がありとても楽しかった!
気に入っていたのが、
中華料理のモーリ飯店、うどんの杵屋などであった。
決して安い値段ではなかったが、サラリーマン気分をちょっぴり味わった。
普段は財布の紐が固いI課長だが、
1シーズンに1回は慰労会を設けてくれた。
その内一度は自宅へ招いてくれた。
その後、大学4年の歳暮シーズンまで合計7回
三越本店外商部受付センターでアルバイトをした。
センター長はずっとI課長。
慶応出身のIさんとは一度きりで名古屋の系列百貨店へ栄転した。
その後にやってきたのは、千葉出身のIさん。
私がよくしゃべる彼に「(九官鳥の)キューちゃん」とニックネームを進呈したところ、
「よく高校時代の俺のあだ名知ってたな」
顔の細長い彼は「(キュウリの)キューちゃん」と呼ばれていたようだ。
女子社員もNさんは一度きりで、その後はずっとSさんという1つ年下の子になった。
天然系の彼女は私が3年生の正月元日に、大学の友人TR(彼も同じ部署でバイトしていた)と突然晴れ着を着て遊びにやってきた。
そこで急に女性の日になってしまい、私に用品の有無を尋ねて来た。
恥ずかしかったが母に貰い急場を凌いだことがとても懐かしい思い出。
Iさん(キューちゃん)は卒業後も付き合いは続き、私の結婚式にも出席していただいた。
そして両名とも未だに年賀状のやり取りを続けている。
縁があったということなのだろう。
大学2年の中元シーズンからは、
I課長からクラブ補助金の話があり旅行研究会メンバーもアルバイトを始めた。
補助金は夏旅行や春合宿の打上げ費用の一部となった。
生意気だった私はI課長に対し、
「次から後輩達を連れてきませんよ…」
と軽く脅しを掛けて、飲物などをたかっていた。