前回の記事で、藤井太洋氏の小説の魅力と映像化との相性について書いた。
書いていて思ったが、映像化の観点では筆者が敬愛する他の作家についても一定の相性があると思う。

過去の記事で取り上げた作家で言えば、月村了衛氏の作品は映像化ともドンピシャではないだろうか。

代表的なところでは『機龍警察』シリーズだろう。
「“至近未来"警察小説」と銘打たれている通り、テロや民族紛争が激化した世界で、核兵器に代表されるような大規模破壊兵器は実質的に使用不能であり、それに代わって発達した「着る」近接戦闘兵器、機甲兵装を操る警察官(厳密には警察と契約した傭兵)を主役とした物語である。

機甲兵装はサイズ的に、『ガンダム』シリーズのモビルスーツや押井守氏が監督するアニメ作品『パトレイバー』、ギレルモ・デルトロ監督の映画『パシフィック・リム』に代表されるような巨大ロボットと、MCUの『アイアンマン』や『仮面ライダーアギト』のG3(派生であるG3-X、G4含む)のようなパワードスーツの中間くらいだ。
優れた作品が多数あることからわかる通り、映像化に大変向いている題材であり、実際に漫画化もされている。

今後、アニメにしろ映画にしろ、ファンとしては上に挙げた作品を作った名監督によって映像化されることを願ってやまない。

 


とはいえ、月村了衛作品の中で『機龍警察』シリーズだけが映像化に向いているという訳ではない。
月村了衛作品で映像化に向いた要素は他にもいくつかある。

一つは、「移動」という見せ場だ。
MCUにおける『シビル・ウォー/キャプテンアメリカ』と同様、主人公(チーム)がある地点から別の地点に到達すれば勝ちで、それを阻止すれば敵(チーム)の勝ちというわかり易い構図に基づいた見せ場である。
『土漠の花』『影の中の影』『脱北航路』等、作品の舞台や登場人物の背景は違えど、いずれにしても同じ構図の見せ場がある。『槐』については、移動を成功させたら勝ちなのが敵チームでそれを阻止したいのが主人公チーム、と勝敗の付き方が逆だが構図としては同じである。
このような見せ場は割と大規模な映像作品に向いていると思う。

映像化に向いている二つ目の要素は、過去の記事でも書いたような疑似家族、すなわち運命共同体の物語だ。
父親が家族のために詐欺を働く(『十三夜の焔』、『詐す衆生』)、異なる立場の人間同士が連帯して巨悪を打つ(『十三夜の焔』、『影の中の影』の一部)、優等生が嫌っていた悪い奴と連帯する(『土漠の花』、『槐』)、自らの過去を告白することで他者を説得する(『影の中の影』、『機龍警察』の一部)等。
こちらは大規模な見せ場にはならないが、名俳優によるドラマが見てみたいものである。

最後の要素はずばり「武道」だ。
『土漠の花』では合気道、『槐』では柔道と薙刀のそれぞれ達人・選手が登場し、道場で培った技を命のやりとりという緊迫した場面で使う場面がある。
武道が見せ場になる作品群の中でも特に思い入れが強いのが『影の中の影』だ。
過去の記事にも書いた通り、主人公は元々剣道をやっており、後にロシアの武術であるシステマを学び、更には古流の抜刀術を修めることで唯一無二の達人となる。
日本の技術と外国(ロシア)の技術、現代武道と古流武術の融合であり、現実にできる人間は限られている(筆者の武術のお師匠はそれができる稀有な存在である)。
更にいえば、メッセージが重要である。
主人公が体現しているのは、何か(システマの修行)に専念することで、捨てたはずのもの(剣道の技術)が逆説的に活かされるという哲学で、人生においても非常に有用なメッセージである(これも筆者のお師匠が実現している。すごい)。

大規模な映像作品にはならなくても、低予算でできる映像作品として、充分に成立する見せ場である。