朝起きて新聞を取りに表に出たら、隣のお婆ちゃんを見かけたので「おはようございます!」と声を掛けた。すると「おはようございます。」と答え「一輪挿しにどうぞ。奥さんお花が好きでしょ。」と黄色い薔薇をくれた。何か良いことがありそうな一日の始まりである。
自宅近くの国道10号線は2車線で中央部に街路樹が植えられていたが、先日から伐採が進められている。ただ、今が盛りのツツジの植込みまできれいに除去されていたのには少し悲しい気持ちになった。
一方で、反対側車線の見通しが良くなり景観が随分変わった。また、植込みへのゴミの投棄なども減少するだろうし、街の美化にはプラスと思われる。いずれは車線も拡張され渋滞も解消されるだろう。
未来を生きる人のために街はその姿を変えながらどんどん進化してゆく一方で、人はその姿を衰えさせながらどんどん老いてゆく。それが自然の摂理というものだろう。
「生け花とは死にゆく花の美しさを愛でる芸術だ」という言葉をどこかで聞いたことがある。生け花に何かしら儚さを感じたり、満開の桜にいずれは散りゆく悲しい運命を想ったりするのも、そんな「花の短い命」に由来するものだろう。
五月晴れのGWの初日、一輪挿しを観ながらそんなことを考えた。