英語遊歩道(その52)-新学期のスケッチと「山桜」の孤独 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

桜が舞い散る中、新学期が始まり、子どもたちの姿が街に戻ってきた。真新しい制服に身を包んだ新入生たちが、颯爽と街角を歩く姿は、実に清々しい。

 

今朝、ある薬局で薬を受け取ろうとしたら、応対してくれたのは新入社員だった。「実務研修中」と書かれた名札をつけている。薬の効能や服用方法を説明してくれたが、その隣ではベテランの薬剤師が彼の振る舞いを注意深く見守っていた。OJTが行われているようだ。

 

街のあちこちで、そんな現在進行中の春の一コマを見かけるようになった。

 

 

私が住んでいる地域は、西に貫山を、東には遠く足立山を望むあたりにある。この時期、それらの山の山肌は、白やピンクの丸い綿菓子のような花々でポツポツと彩られる。山桜である。

 

けれども、そんな山桜をいったい誰が眺めているのだろうか……。そんなことを考えていたら、ふと、ある和歌を思い出した。百人一首にある一首である。

 

 

「もろともに あはれと思へ 山桜 花より外に 知る人もなし」
(百人一首 第六十六番・前大僧正行尊)

 

(拙訳)
山桜よ。私が君を見てしみじみと風情を感じるように、君もまた私に、身に沁みて深く感動して欲しい。私の気持ちを理解できるのは、この山奥では君しかいないのだから。

 

 

この歌を詠んだ前大僧正行尊は、俗世を離れ、山中で孤独に修行を積んでいた僧侶である。そのような折、思いがけず山桜の花に出会ったときの感動を詠んだものらしい。

 

「花より外に知る人もなし」――
 

その一節に、自らの心を重ねた行尊の孤独が滲んでいる。何とも切なく、深い余韻を残す歌である。