今日は少し暖かくなった。春の日差しが降り注いでいる。公立の小・中学校は今日が終業式だったようで笑顔で下校する子どもたちを多く見かけた。こちらの桜の開花予想は3月23日頃だったが、寒の戻りもあったので少し遅れそうな感じである。
以下、また少し京都のことを書いてみる。
1978年の3月下旬、私の下宿探しや独り暮らしの準備のため、母と祖母、私の三人で上洛した。私が独りでできるほど大人だったらよかったのだが、母もやはり心配だったのだろう。祖母までが京都に付いてきた。
下宿探しには少し出遅れた感があったが、なんとか大学に近い吉田二本松町の下宿を見つけることができた。これが前回のブログに書いたところである。
部屋は四畳半一間で家賃は月8,000円。トイレ・洗面所は共同、風呂は銭湯通いとなった。畳替えや大学生協で購入した机や本棚、炬燵などが届くまでしばらくの間、近くの旅館に滞在することになった。受験の時に泊まった「聖護院荘」という宿である。
私の独り暮らしの一通りの準備を終えて母と祖母が京都から帰る最後の日、三人で観光バスで京都市内を周遊した。観光バスの最終の目的地は「清水寺」。清水の舞台から美しい京の夕暮れを拝むことができた。
京都駅で母と祖母を見送った後、とうとう独りぼっちになった。まだまだ肌寒い早春の京都。19歳の春、その時の強烈な孤独感は今も忘れることができない。
今にして思えば、これが私にとって最初で最後の「親離れ」だったのかも知れない。結局、それ以降両親と一緒に暮らすことはなかった。従って、「親離れ」以来、随分長い時間旅を続けているようなものである。
父が亡くなって17年、母が亡くなって5年。両親には随分苦労をかけたが、気が付けば当時の父母よりずっと年上になってしまった自分を旅の空に振りかえる。