英語の迷い道(その141)-二泊三日で京都へ-「思い出を辿る旅」 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

二泊三日の京都旅行を終えた。京都は思いのほか寒かった。桜で混雑するシーズンを避けた平日であるにもかかわらず、京都は特に外国人の観光客でごった返していた。

 

昨今、福岡(博多)も開発が進んだが、それとは比べものにならないくらい京都は巨大な国際都市へと変貌していた。とにかく様々な国籍の外国人で溢れた街となっていた。

 

 

一日目。

京都駅から地下鉄で烏丸今出川へ。同志社大学では卒業式が行われていた。そこから市バスで京大正門前へ。家内と大学構内をブラブラ散策し、生協の食堂で昼食を済ませた。味はまずまず。ひとり600円くらいで食べることができた。

 

大学構内を出て吉田二本松町の下宿へ。45年余りの時を経て下宿は健在だった。ベルを押して代替わりした大家さんに挨拶することができた。中庭に入らせていただくと当時の佇まいが一部残されていた。共同の洗濯機や屋上の物干し場が懐かしかった。

 

下宿を後に大学構内を南から北へ歩いて喫茶「進々堂」へ。教養部時代よく通って本を読んだ喫茶店だ。木製の長机はそのままだった。コーヒーを飲み終わって市バスで農学部前から出町柳へ。京福電鉄に乗り一乗寺へ。車両は随分お洒落に変わっていた。

 

一乗寺駅から東西に延びた学生街を通って一乗寺燈籠本町のアパートへ。よく通ったろばた焼き「京八」は無くなっていた。マスターが亡くなられたのが15年くらい前のことだ。アパート「さくら荘」や周辺の雲母漬老舗「穂野出」「雲母湯」はそのまま残っていた。

 

一乗寺清水町から5番系統の市バスで京都駅へ。四条河原町から烏丸通り渋滞のため思いのほか時間が掛かった。夜は大学時代の友人と居酒屋で旧交を温めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二日目。

京都駅から東山七条三十三間堂に向かったが結局徒歩になった。本尊の千手観音座像千体千手観音立像、また風神・雷神像二十八部衆像が実に荘厳で素晴らしかった。三十三間堂を後に近くの智積院へ。境内を散策したがとても寒かった。

 

智積院を出てしばらく歩き京阪バス四条京阪へ。道を尋ねると京都の人は皆優しく教えてくれた。四条木屋町から木屋町通りを食事ができるところを探しながら北上した。戻りは先斗町に入って路地を南下して再び四条通りへ。先斗町は焼き肉、鰻、京料理の店が多いが営業は夜が中心らしい。

 

新京極を通って錦市場へ。物凄い人だかりでまるで祭りみたいだった。立ち食いしている観光客もいたが、ここもやはり外国人が多い。人混みを逃れて甘味処で一休み。ほうじ茶と彩りのある団子で少し人心地が着いた。

 

四条通りに戻りブランド店などを散策しながら四条烏丸へ。地下鉄で京都駅へ。八条口に出て市バスで東寺へ向かった。東寺の花まつりのライトアップは18:00から。30分ほど近くの喫茶店で時間を潰した。外はどんどん寒くなっていった。

 

桜には10日ばかり早かったが五重塔や庭園のライトアップはとても綺麗だった。金堂の中も観ることができた。京都駅に市バスで戻り居酒屋で夕食と酒、なかなか美味かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三日目。

朝食を済ませてからこの日は家内と別行動。彼女は京都駅周辺でショッピングしたいとのこと。私は再び大学へ。今回は教養部(現・総合人間学部)構内を散策。ただこの日は生憎の祭日で生協の食堂・売店ともに休業。学生も少なく閑散としていた。

 

教養部を出て吉田の下宿周辺を散策。よく行った銭湯「平安湯」は改装されて健在。懐かしい街並みはそのままだが、当時からの建物や飲食店はほとんど残っていない。岡崎を経由して東山丸太町まで歩いて市バスに乗り銀閣寺道で下車。この辺りから冷たい雨が降り始めた。

 

銀閣寺道の喫茶店「ベア」で食事と休憩。この店は学生時代も何度か行ったことがあった。看板のSince 1960は噓ではない。学生時代より狭く感じたのは単に自分が膨れただけか。見覚えのあるコーヒーカップに懐かしさを覚えた。

 

銀閣寺道から白川通りを渡り今出川通りを西へ歩いた。通りの南側はよく遊んだ学生街だ。だが「餃子の王将」農学部前店など当時からの飲食店はほとんど無くなっていた。よく遊んだ卓球場もなくなり古本屋も少なくなった。通りを挟んで「天下一品」が見えた。ここにもよくお世話になった。

 

北白川から農学部に差し掛かったくらいに雨が強くなってきた。農学部前から市バスに乗って京都駅へ。思い出を辿る旅もこれで終わりとなった。京都駅で家内とおち合い新幹線の時間を2時間ほど早めて帰途に着いた。