英語の迷い道(その140)-私と「漢字」との出会い-子どもの頃の心象風景 | 流離の翻訳者 果てしなき旅路

流離の翻訳者 果てしなき旅路

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴15年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な独り旅を継続中

大学2年の夏休み、小学校5・6年時の担任の先生(女性)の自宅を、同級生の男女4名連れだって訪問したことがあった。

 

そのとき先生がこんなことを仰った。「○○くんは、夏休みの宿題にいつも自主的に漢字の書き取り帳を提出していたねぇ!その頃から漢字を書きながらじっと力を蓄えていたんだねぇ!」

 

 

私は子どもの頃、ほとんど本を読んだことがなかった。覚えているのは祖母が話してくれたり読み聞かせてくれた絵本など昔話ばかりである。ただ、祖母は時間のあるときに私に漢字を教えてくれた。これが私と漢字との出会いである。

 

祖母は時折近くのバス停まで私を連れて行ってくれた。私がバスが走るのを見るのが好きだったからだ。いつの間にかバスの行き先の漢字が読めるようになった。これには周りの人たちも驚いた。それで、より一層漢字を覚えることが好きになった。

 

夏休みの漢字の書き取りが苦にならなかったのは、このあたりに理由があるようである。これが私が子どもの頃の心象風景である。

 

 

以下の問題は、子どもの頃に読んだ本の記憶と心象風景が結びついたケースである。

 

 

(問題)

次の日本文の下線部の意味を英語で表しなさい。

 

子どもの頃のわたしは本を読むことは好きだったが、定められた勉強は嫌いだった。そのことを、とても苦にしていた。どうやらいまだに自分は子ども時代の強迫観念からのがれられずにいるらしい。そう考えると可笑しさがこみ上げ、それに誘われるように、長い間想い出すこともなかった子どもの頃の情景が次々に心によみがえってきた。そうした心象風景のひとつひとつは、不思議なくらいに書物の記憶と結びついている。

(大阪大学(文学部以外)・2003年)

 

 

(拙・和文英訳) 

When I was a child, I liked reading, but I disliked the predetermined study. I was worried about that so much. It appears that I can't get rid of such an obsession in my childhood even now. When I thought about it, a laughter welled up in me, and as if I were invited by it, various scenes in my childhood that I had not remembered for a long time came back to my mind one after another. Strange to say, each of these mental scenes is just connected to the memory of the books I read in my childhood.