秋頃に処方された漢方薬を飲んで以来、よく夢を見るようになった。それもストーリー性がある深い夢である。
「夢のしっぽを捕まえる」という言葉があるが、夢の中のキーワードやワンシーンを覚えておくとそこから夢の全体が思い出せるというものである。起き抜けにそれを何処かに書き付けておくのがコツで、枕元には鉛筆とメモを用意しておくと良い。
昨夜はやたら理系的な夢を見た。学校の実験室のシーンが出てきたり、休講の代わりに自習に課題を出す数学教師が出てきたり。この辺りは高校が舞台のようだった。
その後、どういうわけか英語や中国史も出てきた。ここでは私が社内で講師を務めていた。舞台は会社の中に変わっていた。所詮夢とはわけがわからないものだ。
先日、弟夫婦と飲んだとき、亡き父の話になった。祖父(父の父)が早逝し家が没落しなければ父があんなに(と言っても聞き伝えだが)苦労することもなかっただろうし、きっと祖父母の意思に従って医師になっていただろう。父に白衣を着せて聴診器を持たせてもきっと様になっていただろう、そんなことを話した。
私の父方の家系には理系の血が流れているようである。叔父連中は皆エンジニアだし、私も英語を除けば理数系の方が得意だった。
叔父の一人に60代くらいになって父方の家系を調べ始めた人がいた。今になって何となく気持ちがわかる気がする。人は自分の人生の先が見えると「果たして自分は何者だったのか」と問い直してみたくなるものである。私も時々そんな衝動に駆られることがある。
徒然草序の段。
「つれづれなるままに、ひぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、 そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」
(拙・現代語訳)
「これといってすることもなく所在なさにまかせて、一日中硯に向かって、心に浮かんでは消えていくたわいもないことを、とりとめもなく書きつけていくと、妙に狂気じみた気持ちがすることだ。」