英語の迷い道(その44)-「本を借りて読む」ということ-三宅連城「王城の朝」 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

たまに図書館にふら~っと行くことがある。ほとんど本を借りたことはないが、3年ほど前にある本を借りた。

 

東京で働いていたころの同期が小説を書いたと聞いたからだ。ネットで探してみるとちょっと前の本でかなりレアである。そこで図書館に探しに行った。

 

たしか奈良時代あたりの歴史小説だった。最寄りの図書館にはなく、市内の別の図書館からの取り寄せとなった。そこまでして借りた本だったが、結局30ページほど読んで放り出してしまった。

 

私にはあまり興味が持てなかったが、以下のような小説だ。

 

三宅 連城 著「王城の朝」

 

 

 

私の場合、専門書など仕事で使う本であれば借りて読むことはない。赤線を引いたり書き込みをしたり、本を汚してこそ本を読むことだと思っている。

 

 

「和英標準問題精講」からかなり昔の東大の英作文の問題である。

 

(問題)

本は借りて読むものと決めてかかっている人は、本当の読書の喜びとは縁のない人と言ってよい。そういう人は、読書をただの暇つぶしとしか考えていないのである。

(東京大学)

 

(拙・和文英訳)

It can safely be said that a person who assumes that books are to be read by borrowing is one who has nothing to do with the real pleasure of reading. These people think of reading as nothing more than killing time.