古代中国に「嫦娥(じょうが)」という美しい女性がいた。彼女は「后羿(こうげい)」という弓矢の名手の妻だった。
昔々世界には太陽が10個あったという。この10個の太陽に人々は苦しんだ。后羿はそれを救おうとその9つを射落とした。そして残った1つに毎日時間通りに昇り、時間通りに沈むように命じた。この功績により彼は崑崙山に住む女仙、西王母から不老不死の薬を貰い受けた。
この不老不死の薬を妻の嫦娥はこっそり一人で飲んでしまった。この罪により嫦娥は罰せられ月の宮殿に封じられた。また月の世界でガマガエルに化したとも伝えられる。これは月影をカエルに見立てた古代中国人の観念によるものと言われている。
後にガマガエルに化したという伝承は消滅し、嫦娥はただ1人で月の世界で孤独を嘆き憂える「憂愁の美女」と考えられるようになった。
確かに、月はとても寂しい場所だったらしい。月には呉剛という男とウサギがいた。呉剛も罪を犯して罰せられて月の世界に送られていた。呉剛は月の世界で月桂樹を永遠に伐採するよう命じられていた。
ウサギ(玉兎・月兎)は嫦娥のお伴または化身とも言われている。日本では餅を突いているが、中国では薬を突いて(製造して)いる。
こんな嫦娥の姿を唐の詩人たちは、詩に月を読み込むときの素材にしたらしい。
「嫦娥」 李商隱
雲母屏風燭影深 雲母の屏風(へいふう)燭影(しょくえい)深く
長河漸落曉星沈 長河漸(ようや)く落ち暁星(ぎょうせい)沈む
嫦娥應悔偸靈藥 嫦娥は応(まさ)に霊薬を偸(ぬす)みしを悔ゆるなるべし
碧海青天夜夜心 碧海青天(へきかいせいてん)夜夜(やや)の心
(拙・現代語訳)
雲母を張った屏風に蝋燭の灯が深く映り、いつの間にか天の川は傾き金星も沈んだ。
こんな寂しい夜、月の女神嫦娥は不老不死の霊薬を盗んだことをきっと後悔していることだろう。この碧い海のような夜空を憂いに満ちた気持ちで見上げながら。