英語の迷い道(その10)-ラジオがある茶の間-古き良き昭和 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

私が大学生くらいまで、よく話し相手になってくれた叔父の家の茶の間にはテレビがなかった。その代わりに大型のラジオがいつもつけっ放しになっていた。ラジオには大きなスピーカーが接続され壁に掛けられていた。

 

家族はいつもラジオを聴きながら食事をしていた。テレビと異なりラジオだと食事に集中できた。まるで高校の教室で弁当を食べているような感じだが、家族の会話は結構弾んでいたように思える。

 

食事が終わって暫くすると、いつも叔父はウィスキーをもって二階に上がり、水割りを飲みながらテレビを観るのを日課としていた。

 

京大の英作文の問題を眺めていたら、そんなことを懐かしく思い出した。

 

 

 

(問題)

テレビが現れる前には、茶の間の中心はラジオだった。私たちは、小さな魔法の箱から飛び出してくる音を胸をわくわくさせて聞いた。テレビと共に育っている人たちは、ラジオは表現力の点で劣ると考えるに違いない。しかし、映像表現を欠くラジオはそれ故に、私たちの心をかえって想像力豊かなものにしてくれた。

(京都大学 2002年後期)

 

(拙・和文英訳)

Before television became popular among households, radio had been the center of a living room. We listened excitedly to the sound popping out of the radio, so to speak, a small magic box. Those who grow up with television must think that radio would be inferior to television in terms of expressive power. However, radio, which lacks visual expression, had made our minds more imaginative all the better for it.