英語の迷い道(その3)-「総需要曲線」と「総供給曲線」-新古典派とケインジアンの違い | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

最近、晩酌中にYou Tubeで食べ物系の動画を見ることが多くなっている。いわゆる「大食い」「ワカコ酒」を結構見ている。

 

「ワカコ酒」「孤独のグルメ」の女性版で、酒と肴が中心なのが面白い。主演の武田梨奈さん、空手家というのがすごい。

 

 

 

マクロ経済学にも需要と供給がある。需要サイド(デマンドサイド)①消費②投資③政府支出④輸出入で、供給サイド(サプライサイド)⑤資本⑥労働⑦土地⑧技術である。⑤⑥⑦は生産を行うための基本的な資源で生産要素とも呼ばれる。

 

①+②+③+④総需要と呼び、総需要が大きいほどGDPも大きくなる。これに対して⑤+⑥+⑦+⑧総供給にあたる。

 

需要(曲線)と供給(曲線)が定義されたので、その交点でマクロ経済の均衡点が決まることになるが、この決まり方が新古典派ケインジアンで異なる。

 

新古典派「供給が需要を決める」という考え方で、総供給(実質GDP)が、物価に関係なく供給サイドの要因で決まってしまっている(総供給曲線が垂直)というものだ。従って、需要は物価によって調整されると考えられる。

 

垂直な総供給曲線(直線)上では、すべての生産要素が完全に利用されており、すなわち完全雇用が実現されている(均衡GDP値は下図のYF)。

 

 

一方で、ケインジアンの考え方は、賃金などの調整力が弱いので完全雇用は実現しないというものだ。ケインジアンの総供給曲線は、完全雇用下のGDPより左方では右上がりの曲線となり、低い水準に均衡点(E0)が決まってしまう(均衡GDP値は下図のY0)。

 

従って、需要不足を補うために、政府による積極的な政策介入が評価されることになる。

(以上「マクロ経済学」伊藤元重著・日本評論社)から抜粋)

 

 

なお「完全雇用」とは、「ある経済全体で非自発的失業が存在しない状態」をいう。