東京で働いていた頃、つまらないことで議論になった。「因幡の白うさぎが皮を剥がれたのはワニかサメか?」という議論である。
私は「絶対ワニだ!小さい頃読んだ絵本にワニの絵があった!」と主張した。同期のSは「出雲地方ではサメをワニと呼ぶんだ!そもそも日本にワニはおらん!」と主張した。
この議論は周りの女子社員を巻き込んでかなり白熱してきた。そこへ同期のAがフラーっとやってきた。私はAに尋ねた。「なあA、因幡の白うさぎが渡ったのってワニだよなぁ~?」。Sは「絶対サメだよなぁ~?」と主張した。
Aは「えっ!あれってタコじゃないの?」と答えた。その瞬間、私の周り一帯は爆笑の渦に包まれた。
ただ一つの問題は、その後もAが笑み一つ浮かべず真顔で「タコ」を主張し続けたことだった。彼はどんな幼少期を送ったのだろうか?
以下は「ユーモアの効用」に関する京大の英作文の問題である。Aがユーモアのつもりで言ったのなら相当な天然ボケである。
(問題)
冗談を言う人間は低俗な奴と顰蹙を買うことがある。しかし、人間関係における一種の潤滑油としてのユーモアの効用については、もっと認識されて良いのではないだろうか。ユーモアのわかる人間となるためには、幅広い知識と柔軟な思考法、それに豊かな感受性が必要だ。ユーモアのセンスがあると言われることは、最高の褒め言葉である。
(2009年 京都大学)
(拙・和文英訳)
Those who make jokes are regarded to be vulgar and are sometimes frowned at by other people. However, I think, the utility of humors should be more highly evaluated as a kind of lubricant for human relationships. You need to have a wide range of knowledge, a flexible way of thinking, as well as a rich sensitivity to become a person who can really understand a humor. If you are told that you have a good sense of humor, it must be the best compliment for you.