新・英語の散歩道(その66)-思い出の女-宇崎竜童「炎の女」 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

誰しも思い出に残っている女性がいるものである。今にして思えば性格のきつい女性だった。何もなかったからこそ綺麗な思い出となって残っているのかも知れない。

 

ほろ苦い青春の思い出である。今頃どうしていることやら。幸せであって欲しいと願うばかりである。

 

 

漢・武帝の漢詩「秋風辞」にこんな一節がある。

 

蘭有秀兮菊有芳               蘭に秀(しゅう)有り 菊に芳(ほう)有り

懷佳人兮不能忘               佳人(かじん)を懐(おも)いて 忘るる能(あた)はず

 

(現代語訳)

蘭の花が咲き菊が芳しい香りを放つこの季節、あの美しい女(ひと)のことが思い起こされ忘れることができない。

 

 

 

以下は「英文表現法」から遠藤 周作の文章である。

 

(問題)

深夜、ぼんやり考えていると、自分の過去にこういうことが幾度もあったことに気がつくのである。それは自分がある人と知り合ったため、その人の人生の方向が変わったというような思い出である。自分がある女と知りあい、その女と交際したため、女のその後の人生は(もし自分を知らなければ渡ったであろう人生とは)別の方向に向ったというようなことである。

(遠藤 周作)

 

(拙・和文英訳)

Being lost in thought at midnight, I find that such a thing has occurred many times in my past. It is a memory that I have met a certain person and the course of his or her life has changed. For example, because I met a woman and had a relationship with her, the rest of her life took a different course than that she would have walked if she had not known me.