下宿はトイレと洗面所が共同、洗濯機も共同だった。風呂はなく銭湯通いとなった。
毎朝起きると外の共同洗面所で歯を磨いて顔を洗った、洗濯物は共同の二層式洗濯機で洗い別棟の屋上の物干しに干した。物干しに屋根はなく天候に注意が必要だった。京都は雷が多く何度か怖い思いをした。
徒歩5分くらいのところに「平安湯」という銭湯があった。当時の入浴料は150円くらいだった。長い髪の女性には洗髪料金というものが課された。
京都の銭湯の湯温はやたら熱く何度かのぼせてしまった。銭湯の入り方も知らなかった。また買ったばかりの下駄を銭湯で盗られた。鍵がかかる下駄箱に入れればいいものを……。人間不信に陥った。
銭湯から少し南に下ったところに「風媒館」という食堂・喫茶があった。「チキンカツ定食」をよく食べた。コーヒーとセットで500円くらいだった。
本学を南から北に抜けると今出川通りにでた。銀閣寺方向に東に進むと喫茶店や食堂、古本屋など学生街が続いていた。
よく行った喫茶「アラビカ」。オムライスやベーコンエッグとコーヒーのセットが500円だった。愛想のいいママさんとダンディなマスターが居た。
その他、食堂「ハイライト」、「餃子の王将」(農学部前店)、ラーメンの「天下一品」(銀閣寺店)、中華の「白水」あたりでよく食べた。
古本屋は今出川通り沿いに10軒くらいあった。古本屋巡りも楽しみの一つになった。文学史の本にあったような名作を買っては少しずづ読み始めた。
また「ドクトルまんぼう青春記」に出てきたカントの「純粋理性批判」やデカルトの「方法序説」、阿部次郎の「三太郎の日記」や倉田百三の「愛と認識との出発」などタイトルだけ知っている哲学書も買い集めたが、読破できたものは皆無に等しい。
5月に入り、ホームシックとスチューデント・アパシー(Student Apathy)から自分の方向性を見失うなか、渡辺真知子の「迷い道」という曲が流行っていた。