4月初旬には教養部の受講科目が決まった。週に英語が2コマ、ドイツ語が2コマ、数学と保健・体育が必須だった。保健・体育では体育実技と保健・体育理論が課された。
それ以外に人文科学、社会科学、自然科学からそれぞれ3コマ以上を履修しなければならなかった。授業は1コマ90分、平日は1日4コマ、土曜日は2コマだったので一週間で22コマ。そのうち20コマくらいの講義に出るスケジュールを立てた。
今も覚えているのが、最初の講義である。科目は宮本盛太郎先生の「政治学」。テーマは「北一輝研究」だった。緊張と期待をもって教室で待っていたが10分、15分と経っても先生が来ない。
すると誰かが教室に走り込んできて「休講でーす!」と叫んだ。「京大の講義とはこんなものか……」と気の抜けた状況になった。予備校の講義とは随分の違いである。
以後も教養部の講義は大体そんな感じだった。「求めさえすれば何でも与えられるが、怠けようと思えばずっと怠けていられる」環境に流されていった。
そんな教養部の講義にも少し慣れた4月の半ば、E2の新歓コンパが出町柳の三角州(通称「鴨川デルタ」)で夕刻から行われた。花冷えのする空の下、河原に円陣を組んで座り、ビールと冷や酒に紙コップ、肴は生協で買ったするめやあられだけである。
二浪以上のものを除きほぼ全員が未成年だった。酒の飲み方など知るはずもない。案の定、2名が急性アルコール中毒になり救急車で搬送されるという結末となった。
私は両隣に座ったクラスメートに両肩を抱えられて、何とか下宿まで辿り着いた。夜中に目が覚めると猛烈な喉の渇きの中、下宿の天井がグルグル回っていた。
高校2年の冬以来、二度目の二日酔いであった。