新・英語の散歩道(その60)-休講と「鴨川デルタ」の夕暮れ-中島みゆき「私たちは春の中で」 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

4月初旬には教養部の受講科目が決まった。週に英語が2コマ、ドイツ語が2コマ、数学と保健・体育が必須だった。保健・体育では体育実技と保健・体育理論が課された。

 

 

それ以外に人文科学、社会科学、自然科学からそれぞれ3コマ以上を履修しなければならなかった。授業は1コマ90分、平日は1日4コマ、土曜日は2コマだったので一週間で22コマ。そのうち20コマくらいの講義に出るスケジュールを立てた。

 

今も覚えているのが、最初の講義である。科目は宮本盛太郎先生の「政治学」。テーマは「北一輝研究」だった。緊張と期待をもって教室で待っていたが10分、15分と経っても先生が来ない。

 

すると誰かが教室に走り込んできて「休講でーす!」と叫んだ。「京大の講義とはこんなものか……」と気の抜けた状況になった。予備校の講義とは随分の違いである。

 

 

以後も教養部の講義は大体そんな感じだった。「求めさえすれば何でも与えられるが、怠けようと思えばずっと怠けていられる」環境に流されていった。

 

 

 

そんな教養部の講義にも少し慣れた4月の半ば、E2の新歓コンパが出町柳の三角州(通称「鴨川デルタ」)で夕刻から行われた。花冷えのする空の下、河原に円陣を組んで座り、ビールと冷や酒に紙コップ、肴は生協で買ったするめやあられだけである。

 

二浪以上のものを除きほぼ全員が未成年だった。酒の飲み方など知るはずもない。案の定、2名が急性アルコール中毒になり救急車で搬送されるという結末となった。

 

 

私は両隣に座ったクラスメートに両肩を抱えられて、何とか下宿まで辿り着いた。夜中に目が覚めると猛烈な喉の渇きの中、下宿の天井がグルグル回っていた。

 

高校2年の冬以来、二度目の二日酔いであった。