新・英語の散歩道(その48)-日記の意義-「自分という他人との文通」 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

梅棹忠夫著「知的生産の技術」を読み終わった。ワープロが無い時代の原稿執筆者が如何に大変だったかがわかった。また、複写機なども普及しておらずコピー一つするにしても随分苦労したことが理解できた。

 

 

 

同書に日記を書き続けることの意義についての面白い表現がある。梅棹氏「日記は自分という他人との文通」だと定義している。

 

これを段階を追って説明すると、まず「記憶と記録」について、

「記憶というものは本当にあてにならないものである。どんなに記憶力の優れた人でも、時間とともにその記憶はたちまち色褪せて、変形し、分解し、消滅してゆくものなのである。記憶の上にたって、精密な知的作業を行うことは、不可能に近い。記録という作業は、記憶のその欠陥を補うためのものである。」との記述がある。

 

そして「日記を書き続ける意義」について、

「『自分』というものは、時間とともに、たちまち『他人』になってしまうものである。日記の形式や技法を無視していたのでは、すぐに、自分でも何のことが書いてあるのか、わからなくなってしまう。日記というものは、時間を異にした『自分』という『他人』との文通である、と考えておいた方が良い。」と記載されていた。

 

 

すなわち、記憶を失ったら自分は他人と同じなので、日記の記録形式や技法は決めておかねばならない。そうすれば、過去の日記を見て、その時の自分の経験を知ることができ、過去の自分と文書でやり取りする(文通する)ことができる、ということである。

 

 

 

 

パソコンがある現代では、業務日報や月報など、決まった形式でデータを残すことがビジネスでは当たり前になっているが、ワープロすら無かった1969年に「日記」に関してこのような発想をされていることに深い感銘を受けた。

 

 

梅棹忠夫氏(1920-2010)の晩年の著作についても読んでみたくなった。