梅棹忠夫著の「知的生産の技術」を読み終わった。ワープロが無い時代の原稿執筆者が如何に大変だったかがわかった。また、複写機なども普及しておらずコピー一つするにしても随分苦労したことが理解できた。
同書に日記を書き続けることの意義についての面白い表現がある。梅棹氏は「日記は自分という他人との文通」だと定義している。
これを段階を追って説明すると、まず「記憶と記録」について、
「記憶というものは本当にあてにならないものである。どんなに記憶力の優れた人でも、時間とともにその記憶はたちまち色褪せて、変形し、分解し、消滅してゆくものなのである。記憶の上にたって、精密な知的作業を行うことは、不可能に近い。記録という作業は、記憶のその欠陥を補うためのものである。」との記述がある。
そして「日記を書き続ける意義」について、
「『自分』というものは、時間とともに、たちまち『他人』になってしまうものである。日記の形式や技法を無視していたのでは、すぐに、自分でも何のことが書いてあるのか、わからなくなってしまう。日記というものは、時間を異にした『自分』という『他人』との文通である、と考えておいた方が良い。」と記載されていた。
すなわち、記憶を失ったら自分は他人と同じなので、日記の記録形式や技法は決めておかねばならない。そうすれば、過去の日記を見て、その時の自分の経験を知ることができ、過去の自分と文書でやり取りする(文通する)ことができる、ということである。
パソコンがある現代では、業務日報や月報など、決まった形式でデータを残すことがビジネスでは当たり前になっているが、ワープロすら無かった1969年に「日記」に関してこのような発想をされていることに深い感銘を受けた。
梅棹忠夫氏(1920-2010)の晩年の著作についても読んでみたくなった。