人はいつも仮面を被っているものだ。私は、このブログでさえ「流離の翻訳者」という仮面を被って書いている。
社会人としての顔、上司(部下)としての顔、夫(妻)としての顔、父(母)としての顔、息子(娘)としての顔、また、男(女)としての顔。人は様々な仮面を被り替えながら生きている。
そういう意味では、すべての人は役者なのかも知れない。書斎に籠る時間が多くなり、最近ようやく社会人になる前の本当の自分の素顔を取りもどしつつある。
以下の問題は、そんな趣旨のかなり古い京大の問題である。
(問題)
ひとはあまり自分の芝居に熱中しすぎると、他人の芝居に気づかなくなるものだ。うそつきをだますのはやさしい。うそつきの陥りがちな誤りは、うそをつくのは自分だけで、他人はうそをつかぬものと思いこんでいることだ。
役者は自分だけが役者だと思っていて、一般のひとびとが彼らよりはるかに意識的な役者であることに気づかない。役者は実生活ではむしろ単純な人間なのである。
(1979年 京都大学)
(拙・和文英訳)
It is said that if you are so much absorbed in putting on your own play, you become unable to notice others’ play. It is easy to deceive a liar. An error which a liar is apt to fall into is to believe undoubtedly that it is only he who tells a lie, but others never tell lies.
Since an actor thinks that he is the only actor, he will not notice that general people play roles much more consciously than he. An actor himself is rather a simple person in his actual life.