高坂正堯氏の『文明が衰亡するとき』に coca-colonization という造語が出てくる。狭義では「コカ・コーラの世界進出」。転じて広義で「他国へのアメリカ文化や資本の流入」を意味している。
「…… それはアメリカ文明をコカ・コーラで代表させ、そうした低俗なものがブドウ酒や茶といった香しい飲み物の国を植民地化しつつあることへの反撥の気持ちを表わしたものであった。……」(高坂正堯『文明が衰亡するとき』から引用)
40年以上の時を隔ててこの造語を知り得ただけでも。過去の心の隙間が埋まったような心地がして同書を読破した意義があったように思える。
「八月の濡れた砂」 石川セリ(1972)
私の海を真赤にそめて 夕陽が血潮を流しているの
あの夏の光と影はどこへ行ってしまったの
悲しみさえも焼きつくされた 私の夏は明日もつづく
打ち上げられたヨットのように いつかは愛もくちるものなのね
あの夏の光と影はどこへ行ってしまったの
思い出さえも残しはしない 私の夏は明日もつづく
あの夏の光と影はどこへ行ってしまったの
思い出さえも残しはしない 私の夏は明日もつづく