続・英語の散歩道(その99)-Coca-colonization-石川セリ「八月の濡れた砂」 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

高坂正堯氏『文明が衰亡するとき』coca-colonization という造語が出てくる。狭義では「コカ・コーラの世界進出」。転じて広義で「他国へのアメリカ文化や資本の流入」を意味している。

 

 

「…… それはアメリカ文明をコカ・コーラで代表させ、そうした低俗なものがブドウ酒や茶といった香しい飲み物の国を植民地化しつつあることへの反撥の気持ちを表わしたものであった。……」(高坂正堯『文明が衰亡するとき』から引用)

 

 

40年以上の時を隔ててこの造語を知り得ただけでも。過去の心の隙間が埋まったような心地がして同書を読破した意義があったように思える。

 

 

「八月の濡れた砂」 石川セリ(1972)

 

私の海を真赤にそめて 夕陽が血潮を流しているの

あの夏の光と影はどこへ行ってしまったの

悲しみさえも焼きつくされた 私の夏は明日もつづく

 

打ち上げられたヨットのように いつかは愛もくちるものなのね

あの夏の光と影はどこへ行ってしまったの

思い出さえも残しはしない 私の夏は明日もつづく

 

あの夏の光と影はどこへ行ってしまったの

思い出さえも残しはしない 私の夏は明日もつづく