学生時代の教官の著書を読んでいると3回生くらいの頃の思い出が昨日のことのように頭に浮かぶ。勉強もせず無為に時間を潰したほろ苦い思い出が多い。
時々「もし第二外国語がドイツ語でなくフランス語だったら今何をしているだろう?」と考えることがある。
フランス語であれば教養部のクラスはE1、E2ではなくE3かE4。友人関係も全く異なっていただろう。不思議なことに大学の友人にフランス語選択者は居ない。
またゼミ(専攻)についても同じようなものだ。私は近代経済学(マクロ経済学)を専攻したが私の友人にマルクス経済学を専攻した者は居ない。
近代経済学か会計学など経営学を専攻した友人ばかりである。もちろん法学部に転学部した友人もいる。マルクス経済学を専攻した者とは所詮意見が合わないだろうという偏見があった。
第二外国語は、高校時代に読んだ北杜夫の『ドクトルまんぼう青春記』の中にドイツ語やレクラム文庫の話がでてきた縁でドイツ語を選択したのだが、今にして思えば何もこだわる必要もなかったように思う。
フランス語を選択していたら友人も異なるし全く違う人生を歩んでいたかも知れない。人生の分岐点は意外なところに転がっているものである。