『三国志の英雄で誰が好きか?』と聞かれれば、昔から迷うことなく『曹操!』と答えていた。
曹操は「治世之能臣亂世之奸雄」(治世の能臣、乱世の奸雄)と評される。これは「平和な世の中ならば有能な役人、乱世ならば悪知恵に長けた英雄」という意味であり、中国で曹操が長年にわたり悪役扱いされてきたことの根拠がここにある。
少し前に、中国の長編ドラマ「三国志Three Kingdoms」全48巻を観終えた。物語を通じて曹操の評価が、昨今随分と見直されているように思われた。「名誉回復」・「復権」と言った感じだろうか?
曹操(字は孟徳、155-220)は、政治家・兵法家としての才能に加えて文才にも恵まれ多くの詩を作った。曹操の詩は楽府(がふ)と呼ばれる伴奏を伴った歌詞の形式で、作風は簡潔ながら力強いものと言われている。
その文才は子の曹丕・曹植に受け継がれ三人で「三曹(さんそう)」と称され「建安文学」と呼ばれる詩文学を築き上げた。五言絶句・律詩、七言絶句・律詩などの漢詩の形式の基盤が確立されたのもこの時期のようである。
以下は「赤壁の戦い」(Battle of Red Cliffs、208年・冬)に臨み、曹操が詠んだとされる詩「短歌行」である。彼の豪快で潔い性格が垣間見えるとともに、如何に彼が有能な人材を集めようとしていたかが窺われる。
「短歌行」 曹操孟徳
對酒當歌 酒に対して当(まさ)に歌ふべし
人生幾何 人生幾何(いくばく)ぞ
譬如朝露 譬(たと)ゆるに朝露(ちょうろ)の如し
去日苦多 去る日は苦(はなは)だ多し
慨當以慷 慨して当に以て慷(こう)すべし
幽思難忘 幽思(ゆうし)忘れ難し
何以解憂 何を以てか憂ひを解かん
惟有杜康 惟(た)だ杜康(とこう)有るのみ
青青子衿 青青(せいせい)たる子が衿(えり)
悠悠我心 悠悠たる我が心
但爲君故 但(た)だ君が為の故
沈吟至今 沈吟(ちんぎん)して今に至る
呦呦鹿鳴 呦呦(ゆうゆう)と鹿は鳴き
食野之苹 野の苹(よもぎ)を食らう
我有嘉賓 我に嘉賓(かひん)有らば
鼓瑟吹笙 瑟(しつ)を鼓し笙(しょう)を吹かん
明明如月 明明(めいめい)たること月の如きも
何時可採 何れの時にか採るべき
憂從中來 憂ひは中より来たり
不可斷絶 断絶(だんぜつ)すべからず
越陌度阡 陌(はく)を越え阡(せん)を度り
枉用相存 枉(ま)げて用(も)って相存(そうぞん)す
契闊談讌 契闊(けいかつ)談讌(だんえん)して
心念舊恩 心に旧恩を念(おも)う
月明星稀 月明らかに星稀に
烏鵲南飛 烏鵲(うじゃく)南に飛ぶ
繞樹三匝 樹を繞(めぐ)ること三匝(さんそう)
何枝可依 何れの枝にか依るべき
山不厭高 山は高きを厭(いと)はず
海不厭深 海は深きを厭(いと)はず
周公吐哺 周公は哺(ほ)を吐きて
天下歸心 天下心を帰したり
(拙・現代語訳)
酒を前にしては歌おうではないか。人生は短い、譬えれば朝露のようなものだ。月日はあっという間に過ぎてゆく。憤慨して怒りを晴らそうとしても、心の蟠(わだかま)りを消すことはできない。どうしたらこの憂いを解くことがきるだろうか。そのためには酒を飲むしかないのだ。
青い襟のある服を着た君よ。私の心は悠々と遥か遠くを見つめ、ただ私は君を待ちつつ、これまで思い悩んできた。鹿が呦呦(ゆうゆう)と鳴いて野の蓬(よもぎ)を食べるように、もし良き客があれば、私は瑟を奏で笙を吹いて客をもてなそう。
明るい月の光を手に掬い取ることができないように、有能な人材を味方に取り込むことは難しい。それを思えば、悲しみが心中から沸き起こり、断ち切ることができない。だが君は東西の道を越え、南北の道を渡り遠路遥々私に会いに来てくれた。さあ久しぶりに酒を酌み交わして、昔の誼(よしみ)を温め直そう。
月が明るく星が稀な夜、烏鵲(かささぎ)は南へ飛ぼうと、樹々の上を三度まわり、止まるべき枝を捜し求めている。山がどれだけ高かろうが、海がどれだけ深かろうが。昔、周公は口に含んだものを吐いてまで有能な人材をもてなした。天下の人々もその意気に感じたという。どうか私の許にも有能な人材が集まって欲しい。