秋風が心地よい日々が続いている。毎年のことだが「こんな季節がずっと続けばいいのに ……」と思う。
漢帝国・第7代皇帝の武帝(156B.C.-87B.C.)は、生涯を通じて、宿敵たる北方民族「匈奴」との戦いに明け暮れ、終にこれを打ち破り帝国の最大版図を築いた。
その一方で外征による国家財政の窮乏を招き、また自らの独断的な性格から、治世後半、帝国は衰退への道を辿ることになった。以下の詩は武帝44歳(全盛期)の時の作と伝えられている。
「秋風辞」 漢・武帝(劉徹)
秋風起兮白雲飛 秋風起こりて 白雲飛び
草木黄落兮雁南歸 草木黄落して 雁南に帰る
蘭有秀兮菊有芳 蘭に秀(しゅう)有り 菊に芳(ほう)有り
懷佳人兮不能忘 佳人(かじん)を懐(おも)いて 忘るる能(あた)はず
泛樓船兮濟汾河 楼船を泛(うか)べて 汾河を済(わた)り
橫中流兮揚素波 中流に横たはりて 素波(そは)を揚ぐ
簫鼓鳴兮發棹歌 簫鼓(しょうこ)鳴りて 棹歌(とうか)を発す
歡樂極兮哀情多 歓楽極りて 哀情多し
少壯幾時兮奈老何 少壮幾時(いくとき)ぞ 老いを奈何(いかん)せん
(拙・現代語訳)
秋風が吹いて白雲が飛び草木は黄葉して落ち雁は南に帰っていく。蘭の花が咲き菊が芳しい香りを放つこの季節、あの美しい女(ひと)のことが思い起こされ忘れることができない。
楼船(多層櫓付き軍船)を浮かべて汾河を渡れば、船は中流に横たわって白い波飛沫(しぶき)を上げている。笛や太鼓の音や舟歌が聞こえ歓喜極まる中、何故か哀しい気持ちになる。
若くて元気な時は後どれくらい続くのだろうか?老いていく我が身をどうしようか、どうすることもできない。
「佳人」を有能な家臣とする解釈もあるらしいが、やはり「美人」の方が自然に思われる。秋風が吹く中、大河の中流に浮かび波飛沫を上げる軍船。笛や太鼓、また舟歌が聞こえてくる船上の宴席で「老いの哀しみ」が詠われている。
「美女を想う英雄の孤独」といった感じか。いずれ英訳に挑戦してみたい。