続・英語の散歩道(その60)-夏の思い出-新日本三大夜景と「夏の月」 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

こちらでは今日も気温が33℃を超えた。平年より5℃ほど高いらしい。しつこい残暑が続いている。

 

 

一昨日の「中秋の名月」は生憎の曇天でこちらでは拝むことができなかったが、今日やっと夜空が晴れた。今日の月は「立待月」(たちまちづき)と呼ばれる。

 

以下は「中秋の名月(中秋月)」を詠んだ「蘇軾(蘇東坡)」(1036-1101)の漢詩である。ブログ開設当初の2011年9月の記事でも紹介している。光陰矢の如しである。

 

 

「中秋月」                     蘇軾

 

暮雲収盡溢清寒               暮雲(ぼうん)収まり尽きて 清寒(せいかん)溢(あふ)る

銀漢無聲轉玉盤               銀漢(ぎんかん)声無く 玉盤(ぎょくばん)を転ず

此生此夜不長好               此の生(せい)此の夜 長(とこしなへ)に好(よ)からず

明月明年何處看               明月(めいげつ)明年 何れ(いずれ)の処にか看(み)ん

 

(現代語訳)

日暮に雲は消え去り爽やかな涼気が溢れている。

音も無く流れる銀河(天の川)に宝石で作られた皿のような明月が現れた。

これほどに素晴らしい人生、素晴らしい夜だが、それが永遠に続くことはない。

来年はこの月を、果たして何処で眺めていることだろう。

 

 

今が素晴らしい人生などとは決して思ってないが「まあまあの人生かな?」と昨今やっと思えるようになった。そこが11年前と大きく異なるところだ。今後も緩やかに穏やかに楽しく人生を送ってゆきたい。

 

 

毎年この時期になると「夏の思い出」を振りかえる。コロナ禍での三度目の夏。大した思い出も作れなかったが、自分の街にこんなに素晴らしい夜景があったことを初めて知った夏となった。

 

また杏里の「夏の月」はパートナーと付き合い始めた頃よく聴いた曲である。儚くも美しいメロディが哀しい。