確定申告を終えて一息ついた2011年3月11日(金)14時46分。東日本大震災が発生した。地震の規模はマグニチュード9.0とされ、日本観測史上最大の地震であった。
夕刻が近づくにつれ社内が次第に物々しくなってきた。取引先である新日鐵・釜石製鉄所(現・日本製鉄㈱釜石地区)が被害を受けているらしい。またS社は千葉県君津市にも事業所を持っておりそちらの状況も気になった。
その日は定時過ぎには退社し自宅でテレビにかじりついた。壮絶な津波の映像に目が釘付けになった。東北で大災害が起こっていることを改めて認識した。
震災から3日後のホワイトデーに以前勤務した会社に挨拶に伺った。途中立ち寄った洋菓子店「ALA MODE(アラモード)」にも何処かしら自粛ムードが漂っていた。
以前の同僚たちは快く私を受け入れてくれた。名刺を渡すと「○○さん!よく頑張ったね!」と声を掛けてくれた人もいた。ここにもう一つの故郷があった。4年余り前に心がタイムスリップしていた。
以後、2~3か月の間、娯楽系のテレビ番組は全く放送されなくなった。思い出すのはAC JAPANの以下のCMである。「あいさつの魔法」というものと金子みすゞさんの詩「こだまでしょうか」からの引用である。
なお山口県長門市仙崎の「金子みすゞ記念館」に足を運んだのは、それから暫く経った2011年6月のことである。
1か月くらい経って新日鐵・釜石製鉄所関連で新日鐵、関連会社・取引先の従業員、その家族を含めた100名余りが犠牲になったことを知った。社内で募金活動などが行われる中、2010年度が終わって2011年度が始まった。
翻訳の方は日鉄エンジニアリングからの工業・技術系の英訳、KITAからの環境や安全衛生関連の英訳をこなしながら、随時取引先企業から入ってくる契約書の和訳や英訳を処理してゆくという状況が続いていた。
そんな2011年4月、山陰路をドライブしていて不思議な祭りに遭遇した。山口県下関市豊北町の「浜出祭(はまいでさい)」というもので7年に1度行われる奇祭のようである。
海から吹いてくる風が冷たかったが、車を停めてぼんやりと祭りの成り行きを眺めていた。