続・英語の散歩道(その33)-英文和訳の製造プロセスと「周防灘」の旅 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

2010年秋。結構大きな英文和訳の案件が入ってきた。依頼主は日鉄エンジニアリング㈱で原稿は同社の取引先、トルコ・エルデミール社の設備の取扱説明書だった。これを自分を含む翻訳者数名で分担して和訳した。用語等を統一してチェック、最終的に編集・製品化して納品するというプロセスだった。

 

 

基本的に、日本製鉄㈱の英和・和英用語集記載の語彙を使用した。誰がどのパートを担当するかについてはGさんが翻訳者の希望・得意分野などを考慮して割り振った。私は安全衛生など法務っぽい部分を担当した。訳語のほか文体を「~である」、「~するものとする」調にするなどを取り決め和訳作業に入った。S社に詰めてから最初の大規模な協同作業だった。

 

自分の担当部分の和訳が終了してから各翻訳者の訳文のチェックに入った。それにしても訳文は各自様々だ。主要な訳語の統一だけでなく「及び」・「又」とするか「および」・「また」とするかなど細かなコントロールも必要だった。

 

 

読んでいて意味がわかりにくいところがあれば英文を見て訳し直す。大きな訳抜けがあれば翻訳者に連絡して追加で翻訳させる ……などなど手間のかかる作業だったが、製品が見え始めるとだんだん楽しくなりファイトが湧いた。「これが翻訳なんだ!」と思えるようになっていった。

 

 

チェックが終わったデータは編集者に渡す。編集者のYさんはWORD、EXCELのプロで大概の編集がこなせた。また仕上がりが実に見事だった。やはり製品の見栄えは大切である。受注から2週間ほどでどうにか製品が完成し、納期内に依頼主に納品することができた。一つの翻訳プロセスの全体を経験することができた。

 

 

そんな作業が済んだ2010年10月下旬の土曜日。山口県周南市(旧・徳山市)まで車を走らせた。その年の長い猛暑がやっと終わり始めた頃だった。

 

国道2号線から望んだ化学工場のコンビナートが10月の風に光って見えた。徳山は亡くなった叔父夫婦が昔住んでいたところで、中学校に上がる春休みに行って以来30数年ぶりだった。

 

 

新徳山駅に車を停めて近くの鄙びたアーケードを散策して昼食をとった。いかにも昭和然とした食堂「まつき食堂」で焼肉ラーメン風のものを食べた。味は悪くなかった。

 

 

 

徳山からの帰り道、ある祭りに遭遇した。車を停めて立ち寄ると「末田・堀越 秋の壺まつり」というものだった。この地域にはタコツボみたいな壺がメインの窯元があるらしい。その他様々な陶器類が展示・販売されていた。ちょっと変わったコーヒーカップを見つけて購入した。

 

 

 

国道2号線から離れて海沿いの県道に入った。景色が実に素晴らしかった。両側を海に囲まれた「周防大橋」を渡ると胸がすくむ思いがした。暫く走ると「道の駅 きららあじす」に着いた。そこで暫く休憩をとった。秋の夕暮れに黄昏れた気持ちになった。少し肌寒くなってきた。

 

 

 

「道の駅 きららあじす」を出て車を西に走らせた。辺りは夕映えから濃い宵闇に変わっていった。「埴生(はぶ)漁港」辺りを走っていたとき、20:00くらいではなかったか、突然「パアーン!ポオーン!」という音が遠くの空から聞こえてきた。

 

なんと季節外れの花火大会である。これは「お祝い夢花火」と呼ばれるもので、山陽・小野田市民祭りの前夜祭であることを後に知った。車を停めて眺めた秋風の中に上がる花火がとても綺麗だった。

 

 

 

九工大前の部屋に着いたら22:00を回っていた。それからイベントの多い一日を振り返りつつ杯を重ねることになった。