たまたまネットで地元にロシア語学習のサークルがあることを知った。2009年9月のことである。暇を持て余していたわけではなかったが遊びのつもりでメールを送ってみた。
サークル活動は週一回、ロシア人の女性講師が2名、活動の場所は公的な施設の会議室だった。生徒は私を含めて3名だけで授業料が実に安くボランティアに近いものだった。
生徒にはロシア語がかなり喋れる下関在住の70代の男性と、半導体関連の企業に勤務する30代の男性がいた。
若い方の男性は国内ランキングに掲載されるほど強いテニスプレイヤーでマリア・シャラポワ(Мари́я Ю́рьевна Шара́пова)の熱狂的なファンだった。ロシア語を勉強する理由は、シャラポワと直接話がしたいからだと言っていた。彼がサークルのリーダー的な存在だった。
先生のうちの一人はオリガ(Ольга)という女性だった。色白で小柄な美人だった。歳は30代前半でご主人は日本人、小学校低学年の娘さんがいた。
ロシア語の文字はキリル文字といい、ギリシャ文字がドイツからポーランドなど東欧を経由して変化したもので、アルファベットとは似て全く非なるものだった。発音はギリシャ文字の読み方に近くて響きが美しかった。文法には非論理的なところもあったがとにかく難しかった。また単語のスペルがやたら長いのも特徴だった。
キリル文字にも筆記体があった。芸術的に美しく書けるようになろうと相当に練習した。当時、毎日2時間くらいをロシア語の勉強に充てていた。
講師の女性たちとある程度英語で意思疎通ができると思っていたが、それは大きな誤りで彼らの第一外国語はドイツ語だった。英語は全く通じず日本語の方がまだましだった。
年末には小倉の居酒屋で忘年会をするなど楽しかったが、2010年に入って講師の一人が病気で帰国することになり結局サークル自体が消滅した。5か月ほどのロシア語の不思議な世界だけが脳裏に残った。
ロシア語の学習と前後してサン・フレアから変わった案件が入った。TQE「金融・経済」の英訳の一次採点と講評で「こういうものも翻訳者に依頼するんだ!」と思った。
サイマルの「金融」のトライアルに合格したことはサン・フレアにも報告しており、まあそれも依頼があった理由かなと感じた。
20数名ほどの答案を拝見・採点したがWORDのフォントやポイント数など基本的なルールを守っていない受験者も見られた。まあ英訳文は「ピンからキリまで」といったところだった。それでも2名くらい合格点を付けて提出した。
その後、二次採点者、最終採点者を経て発表されたその回のTQE「金融・経済」には残念ながら和文英訳の合格者はいなかった。私の採点は甘かったようである。
なお、この案件に触発され、結局2010年2月にTQE「金融・経済」の英訳に挑戦した。その結果は、いずれ何処かで書くこととしたい。
2009年12月上旬、S社の翻訳部門の忘年会に招待された。S社の社長や翻訳部門のスタッフ、また地元の翻訳者・通訳者の方々と初めて顔を合わせた。その忘年会の席上、私の人生において貴重ないくつかの出会いを経験することになった。