続・英語の散歩道(その30)-宿命の忘年会-出会いと別れ | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

S社の忘年会は市内・戸畑駅近くの居酒屋で行われた。戸畑区全体が新日鐵(現・日本製鉄㈱)の企業城下町と言っても過言ではない。

 

待合わせはJR戸畑駅改札だったが、地元の翻訳・通訳の同業者にはどんな人がいるんだろうかと少しワクワクしていた。

 

最初にGさんが現れしばらくして女性が2名現れた。Gさんから彼女たちがS社登録の英語と中国語の翻訳・通訳者だと紹介された。Gさんを駅に残して3人で会場の居酒屋に向かった。女性のうちの一人は小倉西高の後輩であることがわかった。

 

居酒屋ではS社のK社長、翻訳・通訳部門から日本製鉄㈱の通訳がメインのUさん、編集・事務担当の女性のYさん、その他、S社登録のフリーランス翻訳者の男性2名ほどが我々を待っていた。Gさんが戻ってきて宴会が始まった。

 

 

K社長はご挨拶・乾杯が終わった開口一番、私に向かって「実は僕も京大卒なんだよ!」と仰った。私は「えっ!?」と驚き「まさかこんな場所で大学の先輩にお会いするとは思ってもいませんでした!」と正直な気持ちを言葉にした。

 

K社長は京都出身で京大・工学部⇒京大・大学院修士卒で日本製鉄㈱のOBだった。日本製鉄㈱では本部長クラスまで昇進した方で米・スタンフォード大学での留学経験があった。

 

私より7~8歳年上で会話の端々に京都弁を滲ませていた。英語も得意なようで「時々遊びで自分で英訳したりもしているよ!」と楽しそうに杯を重ねていた。

 

 

さらに、翻訳者・兼コーディネーターのGさん、K社長より1~2歳上だが、彼も私と若干の縁があった。静岡県出身で東北大・経済学部卒。学部は違えども、東北大は私が現役時に受験したところである。受験した事情を話すと彼は「先輩になり損ねましたねぇ~!」と言った。

 

Gさんは新卒で日立金属㈱に入社した。最初の配属は戸畑工場(後に廃止)だったが、一年ほどで退職し、以後は長きにわたり小・中・高校生向けの学習塾を営んで生計を立ててきたらしい。その後、S社の登録翻訳者を経て社員になって既に10数年という人だった。

 

その後、彼の英文をお手本に工業・技術英語を学ぶことになるが、実に良い師匠に師事したと思ったのは随分先のことである。

 

さらにこの忘年会では、私の生涯のパートナーとなる人に出会うことになったが、この時点では想像してもいないことだった。

 

 

あの思い出深い忘年会から既に12年余りの時が経過した。西高の後輩の女性翻訳者は2014年の秋、若くして亡くなった。また通訳のUさんが亡くなったのがコロナ禍前の2019年の秋のことである。