続・英語の散歩道(その16)-温泉津「輝雲荘」とビジネス実務法務検定 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

松任谷由実の2006年発売のアルバムで「A GIRL IN SUMMER」というものがある。全般にセンチメンタルな曲が多いが、その3曲目の「哀しみのルート16」。独りドライブには最適で心に沁みる曲である。

 

 

閑話休題 …。2006年春先からISOの指摘を受けて管理部では適正な「人事評価制度」の再構築を進めていた。既存の制度は人事評価や給与の決め方に恣意的なところがあった。それに加えて、その主たる担当者である人事部門長が全く捌けない男だった。

 

大手企業では人事部門には人望が厚いか、または頭が切れる人間が配属されるのが普通だが、その男はどちらでもなかった。会社での資格は私より上だったが、いつものらりくらり、ヘラヘラと仕事をするフリばかりの輩で、彼と打合せなどしていると腹が立って机を叩いて退席することも多々あった。そんな血圧が上がるような毎日が続いていた。

 

 

そんな2006年の5月頃、ある「人事評価」に関する会議で「中途採用者の入社前の業務経験をどのように自社の人事評価に反映させてゆくか?」について議論していたとき「そんなものは考慮する必要はない!」と誰かが言った。

 

その瞬間それまでの鬱憤が爆発した。「あんた!何を言うとるんや!それなら中途採用なんかするな!」「生え抜きだけでやろうとするからあんなバカが人事を担当することになるんや!」と取締役管理部長以下全員に対してブチ切れた。まあ、そこまで言った以上はある程度の覚悟はできていた。「これ以上この会社にいても先は見えてる!」と思った。

 

 

帰宅してから冷静に考えたが「会社を辞めてどう生きていくか?」について簡単に答えは出なかった。それでも会社には「退職したい」意思を表明して、専門学校で話を聞いたり転職サイトに登録して面接を受けたりしながら夏が過ぎていった。

 

NTT関連のある会社での海外からの契約・法務対応ヘルプデスクの面接では英語でインタビューを受けた。当時は「英語力+法律またはIT」関連職種の話が来ることが多かったが、「やはり通訳っぽい仕事は無理かなぁ~」が正直なところだった。

 

 

2006年夏、2泊3日で島根県の「温泉津温泉」へ旅した。1987年の夏以来だった。「輝雲荘」という宿だったが料理が美味かった。近くに鳴き砂で有名な海岸や窯元もあり、猛暑の候、浜辺で海を眺めていると将来への不安を一時的に忘れることができた。

 

「輝雲荘」の玄関に洒落た「狸」が置かれていた。それがやたら気に入り後に宿に問合せて出所を確認しネットで購入した。ちょっと高級な狸だった。この狸は今も自宅の玄関に鎮座し我が家の「看板狸」の役割を果たしている。

 

 

2006年10月末、10年近く勤務した地元のIT企業を退職した。退職の前から専門学校でビジネス法務の勉強を始めており、2006年12月に「ビジネス実務法務検定」の3級と2級を同時に受験し合格した。得点率は3級が97%、2級が98%だった。

 

 

これでビジネス法務の全体像が見えるようになり、次はいよいよ法律英語の世界入ることになった。だが、そこには別名 legal jargon とか legalese とも呼ばれる難敵たちが待ち構えていた。