続・英語の散歩道(その12)-「なべげん」とオイノーの微笑み | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

2004年末。クラスの忘年会には10名以上が集合した。私が幹事となり小倉・古船場町の「活魚 なべげん」を会場に選んだ。

 

 

2004年半ばから週末は独りで飲みに行くことが多くなっていた。その当時、ネオンサインに誘われてふらっと入ったのが「なべげん」だった。繁華街から少し離れた場所にあった。

 

いつも刺身と焼き鳥を頼み、ビールから始めて焼酎の水割りを何杯か飲んだところで2軒目のスナックへと流れていた。「なべげん」ではいつも「独り静かに飲む」スタイルを貫いた。

 

 

忘年会のその日も刺身の盛り合わせと焼き鳥その他一品類、それに名物の地鶏鍋をメインに酒宴が進んでいった。地鶏鍋には野菜がふんだんに使われており出汁も私の好みでクラスの仲間たちにも好評だった。

 

よく顔を出していたからか、大将や女将さんから日本酒や料理の差入れもあった。キャラはハイピッチで杯を重ねていた。また地鶏鍋の出汁が相当気に入ったようで焼き鳥や刺身まで放り込んで煮込んで食べていたが …… まあ、かなり出来上がっていた。

 

 

気がつくとキャラが宴席に居なかった。女性陣に確認するとトイレに入ったまま出てこないらしい。トイレで潰れているようだが、男ではどうすることもできなかった。

 

暫くしてキャラが女将さんや女性陣によりトイレから救出(?)されたが、酔った弾みで洋式トイレの陶製のタンクの蓋を落として割ってしまっていた。

 

とにかく大将と女将さんに謝罪し、時間的にも頃合いだったので宴会はお開きとしキャラを店から連れ出した。外は風もない静かな師走の夜だった。YTさんがご主人に連絡し車で迎えに来てもらいキャラを自宅まで運んだ。

 

思い出すのは夜の街、キャラが女性陣に保護され優しい顔で眠っていたことである。日本に来て1年余りの24歳のアメリカ娘の穏やかな微笑みだった。なお、タイトルのオイノー(OENO)とはギリシャ神話に登場する水を葡萄酒に変える女神のことである。

 

 

暫くしてまた「なべげん」に行った。トイレのタンクの蓋はガムテープで綺麗に補修されていた。私は「弁償させてください!」と申し出たが大将も女将さんも固辞した。大将は「あの可愛い外人さんのことは忘れない!」と笑っていた。

 

 

以後、事あるごとに宴会で「なべげん」を使うようになった。中学の同窓会や高校、大学の友人たちとも何度か「なべげん」で杯を重ねた。とは言いながらもう10年以上ご無沙汰している。

 

 

代替わりしているかもしれないが、そろそろ顔を出してみたくなった。