続・英語の散歩道(その9)-硬派の証券マンと「嗚呼神風特別攻撃隊」 | 流離の翻訳者 果てしなき旅路

流離の翻訳者 果てしなき旅路

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴16年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

Securities と答えたようにJYは最大手N証券の証券マンだった。年齢は私より5~6歳下に見えたが、その時私が感じたのは「今まで大変だったろうなぁ~」という同情に近いものだった。「N証券で5年生き残れたら面白い仕事ができる!」という伝説があった。以来、JYとだんだん親しくなっていった。

 

横浜近辺の県立高校出身で早稲田・政経卒。高校時代は柔道部だったらしい。彼の父親は京都府出身で京大・法学部卒、NHKに勤務していると聞いた。父親とはあまりコミュニケーションがうまくいっていないように思われた。

 

N証券の北九州支店はGEOSがあるビルの1階にあった。通学には最適な環境だった。JYは英会話の他にも、仕事で必要なようでパソコン教室でEXCELやACCESSの分析を学んでいた。

 

暫くして、彼には「日本語で話すときと英語で話すときとで人格が全く異なる」という妙な特徴があることを知った。日本語モードの場合は、寡黙で硬派なジェントルマンの風情があったが、これが英語モードに入ると一転、先生はからかう、下品な冗談は飛ばす、他の生徒は批判する …… などなど、全く別の人格が現れた。

 

不思議な男だとも思ったが「これが彼特有のストレス解消法なのかも …… ?」と思えるようになった。

 

 

出会って1か月くらいのうちにJYと差しで飲む機会があった。居酒屋である程度出来上がり、いつも通り2軒目はスナックでカラオケという流れになった。そこで彼が歌ったのが「軍歌」だった。それも1曲、2曲ではない。少なくとも10曲は歌った。「軍歌が好きなのか?」と尋ねると「軍歌しか知らない!」と真顔で答えた。昨今、実に稀有な男だった。

 

 

2004年の暮れが近づいた頃、彼は東京に異動になった。それから3年以上が経った2008年5月、私が㈱サン・フレア主催のTQEに合格してその説明会で上京したときに東京で飲んで旧交を温めた。このときJYはN証券関連の信託銀行に出向していた。以後、彼は何度か北九州に来てはともに軍歌を歌った。気がつけば私も軍歌ファンになっていた。

 

JYと最後に飲んだのが東日本大震災後の2011年の秋頃ではなかったか?彼は動脈瘤解離を患いその手術を経験した後、禁煙していた。私もその前年の2010年に健康上の理由で禁煙しており不思議な符合を感じた。

 

それから暫くして、JYから2冊の書籍が贈られてきた。何となく哲学的なものだった。お返しに5枚組の軍歌全集のCDをプレゼントした。彼はスマホにダウンロードして聴くと喜んでいた。

 

数年後JYはN証券を退職してテンプル大学(Temple University)のビジネススクールの日本キャンパスで勉強を始めたが、それから暫くして音信が途絶えた。病み上がりかつ独身でもあり今も気がかりに思うことがある。

 

 

彼が私に紹介してくれたのが「嗚呼神風特別攻撃隊」という曲である。残念ながらカラオケになっていない。YouTubeに曲があったので以下に紹介する。哀しくも激烈なメロディが素晴らしい。