福岡・博多慕情(その9)-「天使の梯子」と花冷えの「西公園」 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

今年に入ってから、灰色の厚い雲の切れ間から太陽の光が漏れて、放射線状に地上を照らしている現象に何度か遭遇した。これを「天使の梯子(はしご)(階段)」と呼ぶそうで学術的には「薄明(はくめい)光線(crepuscular rays)」と言うらしい。

 

「天使の梯子」は英語ではそのまま angel’s ladder という。「空から降り注ぐ光とともに天使が舞い降りる」と謳われ、それを見た人は幸せになれるとも伝えられている。

 

年明け、風のない砂浜を打ち上げられた貝殻を何となく物色しながら歩いていた。遠くの海原に寒空から「天使の梯子」が掛かっているのが見えた。

 

数年前、翻訳者仲間など有志で「連句」を楽しんだ時期があった。そのとき「天使の梯子」を季語に使おうとしたが、残念ながら歳時記には載っていなかった。キラキラ、ユラユラと切なく光る遠い海面を見つめながら、そんなことを思いだしていた。

 

 

閑話休題 ……。N銀行の「証券業務部」(後に「資金証券部」に名称変更)は総勢15名ほどの小所帯で、資金部門は総勢6名だった。そこで最初に担当したのは外貨預金・インパクトローン(外貨貸付)などの自由金利商品の予約(値決め)処理だった。

 

これらの商品の仕切りレートは、毎日東京の市場証券部が決めていた。外為店(外為部門がある支店)は店内で予約処理ができた。我が資金部門では、店内で処理ができない外為取次店が引受ける外貨預金・インパクトローンの予約処理を行っていた。

 

外貨預金・インパクトローンを皮切りに、自由金利商品である大口定期預金の金利決定手続き、短期金融市場(インターバンク市場、コール市場、NCDCPなどオープン市場)での資金調達・運用の事務を次第に担当するようになっていった。

 

他にも、転換社債の転換事務とか日銀・福岡支店や大蔵省(福岡財務局)に対する報告書の作成などの業務もあり、概して、銀行特有なものか面倒な事務が多く、決してシステム化が進んでいるとは言えなかった。兎も角も毎日が未知の体験の連続だった。

 

 

入行して1か月くらいが経った頃、国際部と合同で「花見」が催された。会社での「花見」と言えば、安田火災・事務本部勤務時に近くの「小金井公園」に昼休みに課員全員で行き、ホカホカ弁当を食べながら桜を見て以来随分久しぶりだった。

 

「花見」の場所は福岡市中央区の「西公園」だった。常務取締役の証券・国際本部長、資金証券部長、国際部長の他、国際部に所属するニュージーランドや中国からの留学生も参加し総勢30名ほどになった。

 

花冷えがする夜だったが西公園は花見客で溢れていた。我々の席は、西公園の丘を登った頂上あたりの「鵜来見亭」の座敷席で、夜桜を見ながら夜景も眺められる絶好のロケーションだった。

 

ただ一点、隣席に問題があった。隣席はN銀行のライバル、F銀行M町支店だった。宴会が始まって暫く経った頃、F銀行の酔った若手行員が我々に因縁を付けてきた。彼は我々に聞こえるように「なんでN銀行なんかに留学なんだ?!」と暴言を吐いた。

 

こちらにも血の気の多い行員は居た。聞き捨てならない言葉に「何をっ!何だとっ!」と一触即発の状態になった。F銀行の支店長だけが一人ハラハラしていた。

 

結局、支店長がその若手行員を諫めて我々に頭を下げさせ、自身も我々に平謝りしてどうにか事なきを得た。それから、F銀行M町支店ご一行はそそくさと退散していった。

 

 

「花見に喧嘩はつきもの」とよく言われるが、この花見の帰途、西公園の丘を下りながら何組かの喧嘩を見かけた。以後、博多で花見をすることは無かった。

 

 

ずっと穏やかで楽しい花見を北九州で経験するのは、まだまだ随分先のことである。