東京生活の7年半、寮からバスで20分ほどの吉祥寺の街。そこで飲んだり食べたり遊んだり、また買い物も吉祥寺で十分事足りた。そんな吉祥寺には思い出が多い。
デパートが東急、伊勢丹、近鉄、他にも西友や南口に丸井もあり、吉祥寺駅ビルには「吉祥寺ロンロン」という専門店街、街には「吉祥寺サンロード」という商店街があった。
また、当時近鉄百貨店裏の通りは、通称「キンテツウラ(近鉄裏)」と呼ばれる風俗店街だった。裏も表も何でも揃う街だった。
休日には、ネクタイやシャツなどを東急・伊勢丹で選ぶのも楽しみの一つだった。カジュアルはMITSUMINE(ミツミネ)でもよく買った。
伊勢丹(2010年3月閉店)近くにクラシックが聴ける喫茶があったが名前が思い出せない。何となく入って、ガラにもなく名曲を聴きながら推理小説を読んでいた。
客を「奥さん」、「旦那さん」、「お嬢さん」、「紳士」などと呼ぶ「とんかつ屋」がありよく行った。当時20代の私が注文すると「カウンターの紳士にチキンカツ一つ!」のような感じである。「紳士」と呼ばれて何となく気分が良かった。店の名前は忘れてしまった。
鰻なら「うな鐵」、ラーメンなら「ホープ軒」、薩摩ラーメンの「天文館」(2006年3月閉店)もあった。また、飲んだ後、アーケードに「おでん」の屋台が出ており、さらにそこで飲むこともあった。東京のおでんの出汁の黒さに驚いたが、さほど塩辛い訳ではなかった。
少し前置きが長くなってしまった。時期は1986年の秋頃に遡る。基本週休二日制だったが、まだ年に1度か2度、土曜日の午前中、交替で数名が電話番として出勤する勤務スケジュールになっていた。ある土曜日、KNさんが土曜出社の当番になっていた。
彼女の当番に合わせて自主的に土曜出社した。さしたる残務があるわけではなかった。仕事の方は多少余裕ができており仕事に自信も生じていた。「一緒に昼食を食べんか?」と誘ってみると「いいよ!」という返事だった。
昼食をどこで摂ったのか覚えていない。食事の後、車で吉祥寺にでた。車を停めて、アーケード(サンロード)の中をブラブラし入ったのが「カフェ・ラ・ミル(CAFE LA MILLE)」という洒落た喫茶店(カフェ)だった。
「カフェ・ラ・ミル」は、当時も都内に何店舗か展開しており「短大の頃、○○店でバイトしてたんよ!」と彼女は言った。
カフェの中で彼女と様々な話をしているうちに、2年ほど前の高円寺「すずめのおやど」での告白を思い出していた。何となく心が温かくなっていた。
彼女がソウル歌手のジェフリー・オズボーン(Jeffrey Osborne)の話をしたこと。私が「オズボーン」という名前が耳に慣れず、彼女に何度も聞き直したことが思い出される。
当時、ユーミンや中森明菜などを聞いていた私とは、彼女の音楽の嗜好は随分違っていたようにも思えるが、彼女が会社の飲み会の二次会で、小林明子の「恋に落ちて」をカラオケで歌っていた記憶もあり、まあ、聴く曲と歌う曲は、違うということだろう。
カフェを出て彼女を高円寺まで送り届けた。夕刻、彼女を降ろしたマンション前の路上から見えた秋の空が綺麗だった。それだけで何となく心が満たされた気持ちになっていた。
今思えば、そこには何処か弱気な自分がいた。