1987年秋。いいとも会員の全員が寮からいなくなった。私の心に秋風が吹き始めた。
そんな1987年10月上旬、新任主任研修が研修所(芦花公園)で開催された。2泊3日だったが久しぶりに同期連中と再会した。
研修では受講生全員が、現在担当している業務の中からテーマを選定してプレゼンを行うことになっていた。私はキヤノン⇒日立へ移行中の証券類の漢字システムについて説明したが、営業店やサービスセンター勤務の同期には専門的過ぎて不評だった。
だが、障害により破損した磁気テープや印字が溶けだした保険証券の現物を見せながらのトラブル対応のプレゼンには、講師含めて受講者全員が関心を示したようだった。
その研修の中、ちょっと変わったスピーチ・ゲームがあった。①スピーチを行う壇上に何枚かカードが裏返しに置かれている⇒②スピーチを行う者は壇上から任意に1枚カードを引く⇒③そのカードにスピーチのテーマが書かれており即興でそのテーマに関して5分程度のスピーチを行う、というものであった。
スピーチのテーマは当時の政治・経済・社会など関するキーワードであった。「安・竹・宮」、「ペレストロイカ」、「ゴクミ」、「池子」、「超電導」、「現代版巌流島の決闘」 ……などなど。新聞やニュースを見ていれば何とかなる内容だった。
この訓練はテーマに関する正確な知識を要求するものではなく、聴衆を前にして5分間をどう切り抜けるか?の能力を問うものだった。東京海上の就職試験の二次面接、「現代学生気質」を思い起こさせるものだった。
「ペレストロイカ」を引いた者は、それをイカ(烏賊)の一種と断定して自分の趣味の釣りの話に持って行った。また「現代版巌流島の決闘」を引いた者は、カップ麺「赤いきつね」の昔のCMに武蔵/小次郎のシーンがあったことを思い出し「赤いきつね」と「緑のたぬき」の話で逃げ切った。
「超電導」を引いて「超電導」⇒「伝道師」⇒「霊幻道士」と発想し、香港映画「霊幻道士キョンシー」の話をした者がいたり、「池子」は在日米軍施設の話だが往年のポルノ女優「池玲子」に持って行った者もいた。研修室内は爆笑が止まない状況となった。
そして私が引いたカードには ……「テレクラ」と書かれていた。カードを引いた者は、カードに書かれたテーマをホワイトボードに書き、振り向いてからからスピーチを開始するルールだった。ホワイトボードに書いている時間だけが唯一考えることができる時間だった。
「テレクラ」は「テレフォン・クラブ」の略語だが使ったことも無いし何なのかもわからなかった。とにかく「テレクラ」が略語であることから「システム部の仕事には略語が多い」というテーマで自分の土俵に持っていった。後は何を話したが覚えてないが、どうにか聴衆の笑いを何回かとることができた。笑いが取れりゃいい、という研修ではなかったはずだが ……。
主任研修と前後して、父から「会社にアルバイトに来ている子でいい娘さんが居るんだが会ってみんか?」と連絡・打診があり帰省することにした。相手は高校の2期下の女性だった。
待合わせは小倉のホテルのロビーだった。彼女は、同ホテルで行われた友人の披露宴に参加した直後だった。ロビーで父から彼女を紹介され、とりあえずホテルを出て銀天街をブラブラ歩き、京町銀天街の思い出が多い喫茶「マヤ」に入った。2時間ほど話をしただろうか、同窓の誼で話題が尽きることはなかった。
翌日、その子と映画を観た。封切られたばかりの邦画「竹取物語」である。沢口靖子が主演のかぐや姫だった。映画を観てからまた小倉をブラブラして喫茶に入り話をした。
その日の夕刻、新幹線で東京に戻ったが、彼女はホームまで見送りに来た。ビール2本とつまみを袋一杯買って渡してくれた。彼女は別れ際に「私、手紙書きますから ……」と言った。
それから、彼女との手紙のやり取りが始まった。週一回くらい手紙が来るほど「筆まめ」な女性だった。携帯はもちろん無く、寮の電話も共用のその頃、遠距離ではそんな付き合い方も珍しくなかった。だが、結局私の方から手紙を出さなくなった。彼女とは、あの黄昏の新幹線ホームが最後となった。
「シンデレラ・エクスプレス」はJR東海の東海道新幹線のテレビCMで、同じ1987年に放送されている。テーマ曲の「シンデレラ・エクスプレス」は松任谷由実のアルバム「DA・DI・DA」の7曲目。この曲を聴くと、今も彼女と別れたあの黄昏の新幹線ホームを思い出す。