台風一過、連休は概して好天となった。そして連休明けの今日は「中秋の名月」である。ちょうど10年前に蘇軾の詩「中秋月」に関する記事を本ブログに掲載している。あれから早10年 … …!光陰矢の如しである。
閑話休題……。1982年2月末にやっと自動車学校の卒検に合格、3月初旬に運転免許を取得できた。あとは卒業を待つばかりとなった。
1981年11月の入社試験の折、人事部長から内定者に対し宿題が出ていた。その宿題とは「何でもいいから本を一冊読んで、その感想文を提出しなさい」というものであった。この宿題のために損害保険に関する専門書を購入した。損害保険の法律に関するものでかなり難解だった。
専門書の勉強は遅々として進まず、結局人事部長の「何でもいいから」という言葉に甘え、専門書を諦め私が選んだ書が「九月の空」というものだった。著者の高橋三千綱氏は同書で1978年に芥川賞を受賞しているが、剣道が出てくる青春小説だった程度のことしか覚えていない。
何故こんな本を選んだのか今もわからない。たまたま先月、高橋三千綱氏の訃報をニュースで知り「九月の空」が出てきて思い出した次第である。だが、結局この宿題の感想文を提出する(回収される)ことは無かった。それもまたいい加減な話であるが、会社では結構あることだ。
3月に入り、父母が入社のための私のスーツやコートを地元のデパートで誂えてくれた。明るいグレーの背広、ブルーのネクタイ、そしてカーキのトレンチ・コートだった。スーツが板に付いてなくてあまり似合っていなかったが、これが、両親から貰った最後の服となった。
安田火災に内定して以来、東郷青児の美人画がデザインされたカレンダーや社内報「とびぐち」が自宅に送られていた。それらを見るにつけ「まだ社会人になりたくないなぁ!もっと学生でいたいなぁ!」のような甘えたい気持ちが湧きあがりそれを抑えるのが辛かった。
また入社時に入る独身寮も決まった。その寮とは東京都武蔵野市の「安田火災関前第一青雲寮」だった。武蔵野市と聞いても何のイメージも湧かなかった。国木田独歩の「武蔵野」という本の名が浮かんだが、読んだこともないし何となく文学的な場所かも?と感じた。
東京自体全くわからなかったが、寮までのアクセスが中央線の吉祥寺か三鷹からバスとなっており「中央線なら国立に行ったときに乗ったか?!」と少し安心した。
3月の終わりに大学の卒業式に出席、卒業式の後E2の懇親会があった。懇親会の後、Sの大阪の自宅に泊り、翌日新幹線で新大阪から東京に向かった。
「心理社会的モラトリアム(psycho‐social moratorium)」が終わろうとしていた。東京へ向かう新幹線の中で、京都で出会った大学時代の友人たちのことを考えていた。