英語の散歩道(その18)-実録・淀屋橋の戦い② | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

富士銀行・大阪支店ビルは1・2階が富士銀行、3・4階が安田火災になっていた。エレベーターの中で「銀行⇒銀行と続けて話を聞いてるし、損保の話でも聞いてみるか?!」という気持ちになった。安田火災は東京海上に次ぐ業界2位の損保だった。

 

3階でエレベーターを降り、受付で簡単な履歴書を書くと、見るからに体育会系の学生たちが並んで座っている廊下を通り過ぎて、いきなり奥の方の会議室に通された。どうも一次面接は書類審査だけでパスしたようだった。

 

二次面接の面接官は40代の課長クラスの方だった。志望動機などは東京海上で経験済みで難なくこなせた。4社目であり緊張感もなく口が回った。面接の質問で記憶に残っているものは「あなたにライバルはいますか?」というものだった。

 

この質問に対し、私は中学時代からのライバルであるKのことを熱く語った。彼は私より上位の高校に進んだこと。予備校で同じクラスになり再び勉学で競い合ったこと。大学は早稲田・商学部に進み、今は総合商社を目指していること……。などなど。なおこのKについては「自叙伝(その24)-戦場での再会と初陣」に少しだけ記載している。

 

この面接官の「あなたにライバルはいますか?」という質問は、業界1位の東京海上を想定したもので、当時の安田火災は東京海上に対して「T号作戦」と称する激烈なキャンペーンを展開していた。「ライバルに追いつき、それを追い越す」ような経験を持った学生が欲しかったようである。

 

 

二次面接が終わると「こちらで少しお待ちください」と告げられ控室へ。しばらくすると応接室(支店長室)に通された。そこには本社・人事部門の課長クラスの方が待っていた。

 

彼からの質問は実にシンプルなものだった。「これまで何処を回った?」と聞かれ、「東京海上と第一勧銀です」と答えた。敢えて長銀の名前は出さなかった。「そうか!じゃあうちと東京海上の両方が内定したらどっちに行く?」と彼は聞いてきた。「たぶん……、東京海上に行きます」と正直に答えた。彼は「わかった」と答えた。これが最終面接だった。

 

 

安田火災を出ると外は既に夕暮れだった。帰りの電車の中、やはり「御社に行きます」と答えるべきだったか?と思ったが「まあ、嘘をついても仕方ないか!」と割り切った。それよりは東京海上の『現代学生気質』のプレゼンをどうするかで悩んでいた。同じタイトルの新書を何処かで見かけた気がしたが、今から読んでプレゼン資料を作る時間は無かった。今ならネットとPCで簡単に作れるだろうが……。

 

 

アパートに着いたのは午後7時過ぎだった。夜、第一勧銀から電話が入った。二次面接の待合室で話をした男性行員からだった。大学は違ったが私の話を親身に聞いてくれた優しい方だった。彼は「〇〇さんと一緒に働きたいです!明日の面接も頑張ってください!」と激励してくれた。心が揺らぎ始めた。

 

一方で、他の企業からの連絡は入らず、また東京海上のプレゼンの準備も全く進まないまま夜が更けていった。明日も安田火災を除く3社を回らなければならず、結局時間切れとなった。「まあ何とかなるやろ!ここまできたら出たとこ勝負や!」と開き直って眠りについた。