自叙伝(その24)-戦場での再会と初陣 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

北予備入学時の文系特Aには私の他に西高出身ではEという生徒がいた。彼とは高校1年時、短期間卓球部で一緒だった。また理系特Aに西高出身の理系上位のTという女子生徒がいた。北予備全体では、西高の同期卒業生の20%程度、80名ほどがいたように思う。

 

中学の同窓生で倉高に進んだ者で、同じクラスにKという生徒がいた。彼とは中学時代から何かと競っていたが、再びここで戦うことになった。私と同じく英語・数学が得意で現役では一橋・商学部を受験していた。

 

他に、理系特AにUという生徒がいた。実は彼を小学1年から知っており、優等生街道を突き進んできた男だった。現役で九大・医学部を受験していたが、私の中学の同期で、学力レベルで彼の右に出る者はまず居ないだろう。その他、中学の同窓生で戸畑高、小倉南高、小倉工業などの出身者もおり、北予備での知人は100人以上になった。

 

 

少し話を勉強に戻したい……。

 

苦手科目の国語・社会について、浪人すると決めた頃から勉強法を考えていた。社会(世界史・日本史)については西高同窓のXからの助言「そんなん!教科書読んで覚えるだけやん!」に従って、3月下旬頃から、じわじわ教科書を読み始めていた。また世界史は、教科書と併用して「受験の世界史」(聖文社)の問題を解いていた。

 

国語については、古文・漢文は外国語と考えて、英語と同じように単語、文法、構文などを覚える、暗記科目であり得点源、特に才能はいらない!と考えた。従って、古文単語集を「シケタン」のように覚え始めた。漢文は、基本的な文法や構文が整理されたコンパクトな参考書を読み始め、好きな漢詩などを鑑賞するようにした。

 

しかし、高校時のトラウマを引きずっていた現国については、予備校の授業を受ける以外何もしなかった。トラウマとは、ある模試の国語で第1問の現国の問題を考えているうちに試験時間が終了し100点満点中8点という(おぞま)しい点数をとったことである。トラウマは簡単には消えないものである。 

 

入学から1か月ほどして第1回公開模試が実施された。いよいよ初陣である。

 

 

結果は……、なんと国立文系で14位という思いがけない好成績を収めた。英語、数学、物理が80%近く取れた。一番嬉しかったのは世界史が70以上とれたことだった。国語、日本史は60%に届かないくらいだったが「これなら行ける!」と感じた。

 

私より上位の13名のうち倉高は3名だけだった。1位は意外にも豊津高、2位がラ・サール、3位が倉高、4位が……などなど、だった。

 

上位の生徒は、東大、京大、一橋、阪大の志望者が殆どで、今後壮絶なデッドヒートが繰りひろげられることになる。また、私がこの14位という自らの記録を更新できたのは、冬が近づいた頃だった。