英語の散歩道(その17)-実録・淀屋橋の戦い① | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

1981101日(木)。京阪電鉄で京都三条から淀屋橋へ向かった。電車内はリクルートスーツを身につけた学生で満員状態だった。嘘のような話だが、スーツのセンターベントの縫い目を切っていない輩や、顎にシェービングクリームが残っている輩も居た。「こんな奴らでも就職するんか?!」と思いながら、淀屋橋には9時くらいに着いた。

 

 

駅を出ると東京海上に向かった。東京海上・大阪支店は駅を出た御堂筋の左側(東側)にある白っぽい地味なビルだった。「丸の内の本店とは随分違うな!」と感じた。受付で簡単な履歴書を書かされ面接会場に案内された。

 

面接会場には学生服や学ラン姿の学生もおり、また面接官から呼ばれると「はい!関西大学の〇〇でございます!」と堂々とかつ慇懃に答える面接慣れした輩もいた。志望動機や趣味、学生時代に学んだことなどを話しながら一次面接、二次面接が過ぎていった。最後に「次回『現代学生気質(かたぎ)』についてプレゼンをやってもらいますので、明日またお越しください!」と告げられビルを後にした。

 

 

東京海上を出て、御堂筋を少し南に歩くと長銀・大阪支店があった。レンガ色のビルだった。ビルに入ると、東京海上と同じく、履歴書を書かされ面接会場に入った。こちらでは何人か見覚えのある顔があった。京大の経済学部や法学部の学生だったが、よく勉強している真面目なタイプが多かった。

 

そんな中、長銀の先輩社員に対して大柄な態度をとっている輩が居た。阪大経済学部の学生で上級公務員の二次試験が合格見込みらしく厚生省を志望していた。「厚生省の屋上から見えた長銀ビル本店のまあ小さいこと!小さいこと!」などと失礼な言葉を吐いていた。「一体お前何様のつもりだ!だったら面接になど来るな!」と思った。長銀でも一次面接、二次面接を通過し「明日またお越しください!」と言われて終了した。

 

 

2社回ったところでお昼近くになった。御堂筋を駅に向かって北に歩きながら「さて、どの都銀に行くか……?」と考えていた。通りの反対側(西側)に東銀(東京銀行)と富士銀が見えた。「東銀に行くか!」と思った瞬間、東銀ビルからE2の同級生が出てくるのが見えた。彼は英語が堪能で英検1級も取得していた。「やっぱ東銀は英語か!」と思うと気持ちが萎えた。ふと、右を見ると第一勧銀があった。その時、ビルの前を見覚えのある学生が「今、第一勧銀に行ったら弁当が出るぞっ!」と言って通り過ぎていった。 

 

 

決して弁当につられたわけではないが「都銀トップでもあるし話を聞いてみるか!」という気持ちになりビルに入った。応募している学生は多かったが、なんとか一次面接を終えて入った二次面接の待合室では新入女子行員や若手の男性行員が学生の対応にあたっていた。これが実に和やかなムードをつくり出していた。これが、前2社との大きな違いであり「一勧の社風かな?!」と思った。こちらも、二次面接を終えて最終面接の前くらいまで進んでその日は終了した。

 

 

第一勧銀を出ると午後3時くらいになっていた。「あと1社くらい回れるか!」と思って、御堂筋を渡り富士銀へ向かった。富士銀・大阪支店ビルに入ると観音開きの扉の両サイドに女子社員(女子行員)が立っていた。たぶん、右側にいた濃い茶色の制服を着た女性と目が合い、パンフレットを渡され「3階へどうぞ!」と告げられた。

 

エレベーターの中でパンフレットを見ると……、果たしてそこには「安田火災海上保険」と書かれていた。