1974年4月。小倉西高の普通科に進んだ。西高での様々な出来事については「自叙伝(その3)-強く、正しく、美はしく」~に書いたので、ここではそれ以外の英語に関するエピソードを綴ることとする。
千鶴さんから授かった英語力のお陰で、高校1年時の英語の授業には、ほぼ問題なくついて行けた。中間・期末以外は大した勉強はしなかったが、3名の教師や周りの生徒から「〇〇は英語ができる!!」程度の評判は得ることができた。
この時期、英語に関連してもう一つの出会いがあった。カーペンターズのカレン・カーペンターの歌声である。カーペンターズの曲は中学3年頃から少し聴いていたが、高校1年の夏、アルバム「ゴールデン・プライズ第2集(Golden Prize Vol.2)」を購入して以来、カレンの低くて透き通った歌声に心酔した。
歌声だけでなく、英語の発音が素晴らしく綺麗で擦り切れるほどレコードを聴いて歌詞を覚えるようになった。洋楽の場合往々にしてそうだが、意味も解らず覚えたところも多かった。以後、高校2年時には「緑の地平線~ホライズン(Horizon)」など何枚かのアルバムを購入し、カーペンターズに只管のめり込んでいった。
歌詞の中に出てくる単語は高校3年までに全て知ったが、歌詞の本当の意味がそこそこ理解できたのは翻訳者になった50代だった。それでもまだ解らない曲もある。例えば ”Crescent Noon” という曲の歌詞、どう訳すべきか……?
“Crescent Noon”
Green September burned to October brown,
Bare November led to December's frozen ground,
The seasons stumbled round,
Our drifting lives are bound to a falling crescent noon.
(拙訳)
「クレセント・ヌーン(昼下がりの三日月)」
緑の9月は燃え尽きて褐色の10月が訪れ、
不毛の11月は12月の凍てつく大地へと繋がった。
季節はよろよろと躓きながら移ろい、
私たちの漂泊の旅路は、消えてゆく昼下がりの三日月のような運命か。
そもそも、タイトルの「クレセント・ヌーン」自体が謎だが、日中薄っすらと見える三日月ではなかろうか。有明の月でも夕月でもない。日没までには消えてゆく淡い三日月である。
カレンの歌声は「絶対音感」とか「七色の歌声」などと称されているようだが、試験などが終わってホッとした夜など、カレンの声を聴きながら疲れを癒していた頃が懐かしい。酒があればもっと良かったのかも知れないが……。