「強く、正しく、美はしく」が小倉西高(西高)の校訓である。
私は、これを長年にわたり「清く、正しく、美はしく」だと勘違いしていた。その誤解が先日、小倉西高同窓会(津苑会)の事務局に問い合わせて解決した。西高の前身は旧制小倉高等女学校であり、また学校の所在地の近くに「清水」という地名があったのもそんな誤解を生んだ理由かもしれない。
私が西高に入学したのは1974年、クラスは1年4組、担任は美術担当の穏やかでユーモアのある男性だった。中学とは随分違った。
先生は最初に「君たちはこのクラスになって良かった、ときっとすぐに思うはずだ」みたいなことを言ったが、これは何も「自分が素晴らしい担任なのだ」のような大それた意味ではなく、単にここが食堂に最も近い教室である、という物理的メリットを意味した。確かにこれは大きかった。
紺色の菱形に3本の筋の校章、紺色の生徒手帳、緑色の校則冊子、全てが新しくまた愛しく感じられた。当時の1学年の生徒数は450名で、普通科が1~8組の8クラスの45名×8=360名、家政科が9~10組の2クラスの45名×2=90名だった。
クラス内の当初の座席は出席番号順(五十音順に男子⇒女子)で、黒板に向かって右側の列から割り当てられていた。この時たまたま自分の席の近くに座った生徒たちと、以後友人から親友となっていったが、今思えばそれも運命だったのかも知れない。
教師もユニークな方が多かった。特筆すべきは英語リーダーの教師の独特な発音である。彼は不思議な抑揚でやたらゆっくりと英文を読んだ。一言でいえば、婚姻など祝いの席で謡われる「高砂や~」(小謡)とお経を混ぜたような感じだった。
「高校英語は中学英語とこれほどまでに違うのか?!」と驚いた。教科書はNew Horizonだったが、今でもFairfield(フェアフィールド/米国の地名)という語の彼の発音が耳にこびりついている。
この教師の発音が決して高校英語の標準ではないことが他の教師の発音を聞いて判明して一安心した。だがこの教師、発音はともあれ厳しくも好きな先生の一人で、高校3年時は私の担任としてお世話になることになった。
高校1年時の社会は地理、理科は化学と生物だったが、どの教師も一癖あった。科目が嫌いだったのか教師が嫌いだったのか、それらの科目を大学受験で選択することはなかった。
入学後2週間余りが過ぎた頃「応援歌指導」という悪習の嵐が吹き荒れた。愛校精神の高揚のため先輩たちが西高の応援歌や応援方法を我々新入生に指導するのである。私のクラスの指導は「地学部」の先輩が担当した。それが縁なのか、クラスの何人かが後に地学部に入部することになった。
この応援歌指導で校歌および応援歌を何曲かしっかり覚えさせられたが、以後高校野球などスポーツの試合で母校の応援に行ったことはなく、また応援歌を歌ったこともない。
だが今でも「勝利を告ぐる鐘なれば、胸の血潮の高なりに……♪」のようなメロディが時々浮かぶことがある。