夏休み。北予備では「夏期特別講習」と銘打って現役高校生や自宅浪人生を受入れており、校内が少し賑やかになった。また模擬試験も共通で実施され、これら校外生とも競い合うことになった。
その頃、私もYもスランプ状態にあった。さらに、私は志望校を決めかねていた。東北大・法を再受験する気持ちは失せており、京大、一橋、阪大、神戸大などを考えていた。しかし、東大・一橋・阪大は社会が論述中心、また東大・京大は文系に理科2科目を課していた(やはり東大が一番怖い!)。まさに、”between the devil and deep blue sea” という状況にあった。
何よりもまずは、上記大学のレベルに学力が達することが肝要であったが… …、私の当時の成績は古文と日本史に足を引っ張られており、また東北大の英語長文のトラウマから英文解釈に自信が持てなくなっていた。一方で、Yは社会に世界史を選択し、そちらは健闘していたが、英語が成績の伸びのネックになっていた。これが我々のスランプであった。
このときYに勧めたのが、英文解釈の問題集「英文標準問題精講」(原仙作著・旺文社=通称「赤標」)である。私はYに、面倒でも自分なりの和訳をノートに書き最後に解答を見て比較することを勧めた。これが私のやり方だった。また「赤標」には「シケタン」、「シケジュク」に無い単語・熟語(構文含む)もでてくるので、これらも覚えるべきだとアドバイスした。Yは秋半ばくらいまでにこの「赤標」を一回転させたように思う。
私は「赤標」をYより早く着手していたが、Yと一緒に進めることでより深く読むようになり、質問も受けられるようになった。また、これの古文版「古典標準問題新講」(森野宗明著・旺文社)を読み始めた。こちらは、いやいやながらの着手だったが、解答が充実しており結局本番まで古文はこれ一本で進めた。
その他、Eは私より国語ができたので、Eと私の間で国語(古文・漢文・文学史など)の問題を出し合うことにした。苦手な科目の問題を作るのは難行であり、Eへの問題作成のため毎日深夜まで古文・漢文の参考書と向き合うことになった。これが功を奏したようである。
第1回公開模試で14位だった成績は、夏にかけて下がり始め、晩夏には60位代と最低レベルに凋落した。それがEとの問題の出し合いを終えた秋口から上昇に転じた。9月の半ばが一つの転換点だった。
やっとスランプの出口が見え始めてきた頃、流行っていた曲が太田裕美の「九月の雨」であった。
ただ、「自叙伝(その15)-北からの使者」に書いたように、成績が思わしくないにもかかわらず、夏に志望校を京大・法学部にしたため、2つ目の理科をどうするか?、また手つかずの日本史をどうするか?という問題が依然として残っていた。