3年2組の謎の生徒、Xと私の接点はそれまで全くなかった。Xを知ったのは、高校3年時の最初の模試の結果が出て、成績優秀者名簿に氏名が載った時だった。西高で氏名が載ったのは理系がX含めて2名、文系が私含めて2名の計4名だった。Xと私以外は女子だった。
名簿に氏名が載り、自分が西高で文系1位になったことを知り、少し有頂天になった。また、近隣の高校も模試を受験しており、通学バスの中で出会う中学時代の倉高や戸畑高などの同級生たちからも一目置かれるようになった。同時に理系1位のXに興味を持った。
その頃、XについてYかRからこんな話を聞いた。NA先生の数学の授業で、ある微積分の問題を先生は前後の黒板含めて2.5枚かけて解いたが、Xは別の解き方により黒板0.5枚で解いた、というものだった。数学者のガロアか誰かの話で、教師が「明日から君が教師をやれ!」と教壇を降りたという話を思い出した。
少し先のことだが、予備校時代、同じような経験をした。ある英語の先生が、突然、石川啄木の短歌、「ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」を黒板に書き、「これを英訳しなさい!」と生徒に命じた。それなりの英訳を作ってみたが、感情をどう表現するか難しく、とても人に見せられる出来ではなかった。
10分ほどが過ぎ「誰か黒板に書いてみたい者は居るか?」の問いに、手を挙げた生徒がいた。彼の解答の全ては覚えていないが、確か ”Full of thankfulness.” で終わるもので、何となく暖かい余韻を残す英文だった。
先生は、この英訳をじっくり見て「正直言って、僕の負けだ!」と言い、自分が用意した英訳を黒板に記載し、生徒の英訳が自分のものより如何に素晴らしいかについて解説した。この生徒、ラ・サール高校出身で模試では必ず上位にいたが、翌年東大・文科Ⅰ類に進んだ。
閑話休題……。高校3年時、私は英語のW先生が担任の3年5組になった。物理選択クラスだが、殆どの生徒が私立文系を目指していた。文系の成績上位者は生物選択の3年8組あたりにいた。クラスにあまり話が合う生徒が居らず、休憩時間などはR、Y、Sが居る理系クラスに行くことが多くなった。ここで、Xとも時々言葉を交わすようになった。
依然として、国語、社会(世界史・日本史)は気になっていたが、まともに手を着けていなかった。一方で「進研ゼミ」を始めたり、英語では「試験にでる英熟語」(森一郎著・青春出版社=通称「シケジュク」)や「英文法標準問題精講」(原仙作著・旺文社=通称「青標」)などに手を出したりと、得意科目の世界に陶酔していた。
1学期の終わり頃の模試で、国語・社会で酷い点数をとったが、まあ当然の結果だった。私はXに相談に行った。そのとき、彼が京大の工学部を目指していること、また模試では全科目バランスよく得点しておりB判定くらいの評価を得ていることを知った。
彼は私に「少し社会をやれよ!」と言った。私が「どうやってやるん?」と聞くと「そんなん、教科書を読んで覚えるだけやん!」と言った。また「夏休みはどうするん?」と尋ねると「俺は北予備の夏期講習を申し込んだ!」と答えた。既に彼は合格するための勉強法を身につけていた。
Xの助言は確かに心に響いた。だが、実のところ「夏休みは、高校の補習も予備校の夏期講習も受けず独学で苦手な国語・社会を制覇する!それも問題集を徹底的にやって覚える!」と考えていた……が、これが大きな間違いだった。
夏休みが明け、敗北感を抱えて2学期が始まることになった。Xが言った「教科書を読んで覚えるだけやん!」がいかに大切で、かついかに大変な事か知るのは、予備校に入ってからのことになる。