今年もコロナ禍に伴う厳粛な春となったが「春宵一刻値千金」みたいなときめく感覚は忘れたくないものである。以下は以前書いたエッセーを少し改訂したものである。
「ブランコ」の語源は、一説にポルトガル語のblanço(英語のbalanceの意味)またはblanco(白色の意味)といわれているが、もともとは中国から伝わったもののようで古くは「鞦韆(秋千)」と呼ばれる。「鞦韆」は春の季語で、漢字の「鞦」は「牛や馬の尾に掛けてぐっと引き締める革紐」、「韆」は「前に後ろに遷ること」(漢字源)を意味する。
一昔前までは殆どの公園に設置されていたブランコだが、近年、老朽化や事故防止を理由に撤去されつつあり、子供たちがブランコに乗って遊ぶ姿もあまり見かけなくなった。また、古来「値千金」とまで云われたブランコに揺られる長閑(のどか)な春の夕暮れも、今は花粉やPM2.5(Particulate Matter 2.5)の影響で何処かへ消え去ってしまった。
「春夜」 蘇軾
春宵一刻値千金 春宵一刻 値千金
花有淸香月有陰 花に清香有り 月に陰有り
歌管樓臺聲細細 歌管楼台 声細細
鞦韆院落夜沈沈 鞦韆院落 夜沈沈
(拙現代語訳)
春の宵のひと時は千金に値するほど素晴らしい。花は清らかに香り、月の光が朧に霞んで見える。
楼台から聞こえていた歌声や管弦の音は次第に静まってゆき、ブランコが揺れる中庭に春の夜が沈々と更けてゆく。
A moment on a spring evening is worth a thousand pieces of gold.
「春宵一刻値千金」