「辞世」 明智光秀 | 流離の翻訳者 果てしなき旅路

流離の翻訳者 果てしなき旅路

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴15年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な独り旅を継続中

10月から仕事での立場が変わり忙しくなったため、ブログの更新がなかなかできなかった。10月は風のように去り、11月は雨で始まったが、木枯らし吹く私が最も好きなシーズンが到来した。

 

最近、昔の時代劇のDVDを観ることが多い。映画だけでなく、TV特番の長編時代劇なども結構面白い。特定の武将に対する描き方は、原作者により様々で、どれが真実とも言えない。これは古代中国についても同様である。

 

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先日、そんな時代劇の中で、武将「明智光秀」を主役としたものを観た。珍しいものである。有名な「本能寺の変」には孫子の情報管理の思想が生かされていた。

 

光秀は「敵は本能寺にあり」ということを直前まで部下に伏せていた。孫子は「情報処理能力の少ない人間に多くの情報を与えると、恐怖のあまり混乱したり、怖気づいて逃亡してしまう恐れもある。したがって、組織内の役割に応じた適切な情報操作が必要である。」と説いている。

 

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以下は、明智光秀の辞世の句(漢詩)と言われている。

 

「辭世」           明智光秀

 

順逆無二門        順逆二門に無し

大道徹心源        大道心源に徹す

五十五年夢        五十五年の夢

覺來歸一元        覚め来(きた)れば一元に帰す

 

(現代語訳)

人の道には順縁(恭順、正しい道)と逆縁(反逆、邪な道)の二つがあるように見えるが、実はいずれも人が踏み行うべき大きな道理に到達するための門のようなものである。

思えば、私も五十五年間の人生、長い夢を見続けてきたが、今夢から覚めて、一つの道理(土)へと還るのである。