「完璧」(”perfection”) | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

古代中国の戦国時代、楚の国に「藺相如」(りんしょうじょ)という人がいた。「刎頸(ふんけい)の交わり」でも有名な人である。


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(白文)

趙恵文王 嘗得楚和氏璧。秦昭王 請以十五城易之。

欲不与畏秦強 欲与恐見欺。

藺相如願奉璧往。「城不入則臣請 完璧而帰。」

既至秦。王無意償城。

相如乃欺取璧 怒髪指冠 却立柱下曰「臣頭与璧倶砕。」

遣従者懐璧間行先帰 身待命於秦。

秦昭王 賢而帰之。


(書き下し文)

趙の恵文王 嘗(かつ)て楚の和氏の璧を得たり。秦の昭王 十五城を以て之に易(か)へんと請ふ。

与へざらんと欲せば秦の強きを畏れ 与へんと欲せば欺かるるを恐る。

藺相如璧を奉じて往かんことを願ふ。「城入らずんば則ち臣請ふ 璧を完(まっと)うして帰らん。」と。

既に秦に至る。王に城を償(つぐな)ふ意無し。

相如乃(すなは)ち欺きて璧を取り 怒髪冠を指し 却(しりぞ)き柱下に立ちて曰はく「臣が頭は璧と倶に砕けん。」

従者をして璧を懐(いだ)きて間行(かんこう)し先づ帰らしめ 身は命を秦に待つ。

秦の昭王 賢として之を帰す。


(現代語訳)

趙の恵文王は以前稀代の名玉「和氏の璧」を手に入れた。秦の昭王は十五の城と「和氏の壁」を交換しようと申し出た。

秦の強大さは畏れるほどで断ることもできず、また秦に欺かれるのも恐くて安易に承諾することもできなかった。

そのとき藺相如が「和氏の璧」を持って秦に行きたいと願い出て言った。「もし城が手に入らなければ、私に『和氏の璧を完全な状態で持ち帰れ』とお命じ下さい。」

相如は秦国に到着した。やはり秦の昭王には城を与える意思は無かった。

相如は秦王を欺いて和氏の璧を奪い返し、怒りで冠を突きあげるほど髪を逆立てて、後ずさりして柱の下に立ち秦王に向かって言った。「今となっては、私の頭をこの壁にぶつけて砕き、璧とともに死ぬまでだ。」

また相如は従者に璧を懐に抱かせ、抜け道を通って密かに帰らせ、自らは秦王の処分を待った。

秦の昭王は、この件を賢明であるとして藺相如を無事趙に返した。


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以上が「完璧」の起源であるが、「完璧」を辞書で引くと「欠点がなく、優れて良いこと。完全無欠。」とある。故事から言えば「何事も怖れず使命を全うすること」のように私には思える。


世に「完璧主義」(”perfectionism”と呼ばれるものがある。私の学生時代がまさにそんな感じだった。何か一つの大きなことに成功して、まるで自分が何でもできるかのような勘違いをしてしまった。


その成功のために実際は大変な努力や犠牲があったことを忘れ、また結果よりは努力や犠牲それ自体が貴重で、価値あるものだったことを忘れていたのである。


でもそんな学生時代も今となってはほろ苦い思い出となっている。


なお「完璧主義」については以下のサイトを参照のこと。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8C%E7%92%A7%E4%B8%BB%E7%BE%A9


流離の翻訳者 果てしない旅路はどこまでも