昨日の午後から五月晴れになり日差しも強くなった。昨日の夕刻以前書いた筍の産地の近くを車で走っていた。貯水池を巡る山あいの道は静かで時々鳥(不如帰か?)の鳴く声も聞こえてくる。
峠を越えて清らかに流れる小川の側に車を停めた。沈みゆく夕日の中新緑に映える蓮華草のピンクと空の水色がとても綺麗だった。
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昨日ある本を読んでいて気に掛かった日本語があった。文語調の文体であるが「かこつ(託つ)」という動詞である。「古語?」と思ったがとりあえず辞書を引いてみた。電子辞書は便利なものである。
広辞苑の意味は以下の通り。
かこつ【託つ】
①他人のせいにする。口実とする。
②自分の境遇などを嘆く。恨んで言う。愚痴をこぼす。
少し長くて難解な日本語であるが、原文は以下の通り。
「・・・一方の神経質という素質のものは、精神内向的であって、欲望に対してつねに自己を顧み、欲望と苦痛とをたえず商量し、欲望を達し得ないのをかこち、苦痛を去り得ないのを悲しみ、その間に思想の葛藤を起こし、ついには苦痛の回避、死の恐怖の念に執着するようになり、神経質の種々の症状や強迫観念を起こすようになってくるのである。」
出典: 森田正馬 『神経衰弱と強迫観念の根治法』
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「かこつ」という言葉を聞いたとき、非常に古い思い出が頭に浮かんできた。それは百人一首のある歌である。
第86番 「なげけとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな」 西行法師
私の家には、私が幼い頃から正月には一家揃って百人一首をする習慣があった。歌の意味はわからないものの小学校の頃には殆んどの歌を覚えてしまった。
この歌の「かこち顔」の意味がわからず祖母にきいた。「ばあちゃん。かこち顔でどんな顔?」祖母は熊本弁で答えた。「ひょうな(妙な)顔のことたい!」
小学校低学年の私はこの「ひょうな顔」を「不細工な顔」と解釈した。恋をした坊さんが自分の不細工な顔を嘆いている歌だと勝手に理解した。
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この歌の正しい解釈は以下の通り。
【現代語訳】
月が私を嘆けと物思いに耽らせてるのだろうか?いや、そうではなく恋の悩みを月のせいしている自分を思うと涙が溢れてくるのである。