ある訃報と「散歩」の起源 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

先月ネットである訃報を見つけた。聞き覚えのある名前のように思えたがその時は気にかけなかった。先日ふとそのことを思い出した。


その方は私が講義を受けた教養部の東洋史の先生だった。先生の講義の範囲は古代中国の「新~後漢」だった。前年度は一年かけて「前漢」を教えたと言ってた。


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「新」(8 - 23)「王莽」(おうもう)により建てられ「赤眉・緑林の乱」で滅んだ短命な国家である。王莽の身長・風貌など相当に細かい話が聴けて、さすがは大学の授業だと感激した。


他にも中国史における「殷周王朝(帝国)」「秦漢帝国「隋唐帝国」という呼び名や「三大○○」とか「四大○○」などというのが古代中国の「陰陽五行説」に起因することも知った。


また「散歩」(さんぽ)とは、「清談」(せいだん)に明け暮れた賢人たちが不老長寿の薬(おそらくは毒・劇薬)を飲んで、その毒気を発散するために山林を歩いたことから「散」という文字が使われたなど面白いことを教えてくれる先生だった。


そう言いながら、私は「新」の話が終わった頃にはこの講義には出なくり人文科学系の単位はもっと楽な他の講義で取得した。勿体なくも失礼なことをしたものである。


遅ればせながらここに故人のご冥福をお祈りしたい。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E5%AE%95%E5%85%83


流離の翻訳者 果てしない旅路はどこまでも