「道程」 高村光太郎 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

今日は朝から雨の寒い日だった。こんな日は誰でも気持ちが滅入るものである。

私が高校の頃の国語の授業では「近代詩・現代詩」というものは殆ど学ばなかったと思う。今はどうなんだろう。漢詩や古文よりは親しみやすいと思えるが。

だから自分から興味を持たない限りは近代詩も現代詩も全く知らない人も多い。私も特定の詩人を除いて殆ど知らない。

昔一度は読んだ有名な詩であるが、今日改めてその意味を問い直してみる。詩とは本来そのように鑑賞するものなのかもしれない。

「道程」   高村光太郎

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守ることをせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため


・・・・

高校の頃の友人が「この詩人は相当な自信家だ!」と言った。でも私は不安を抱えながらも一歩を踏み出す自分のような弱い人間がこの詩の中に見える。

そのように様々な解釈ができるから詩は面白いのである。