「登高」 杜甫 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

結局昨日は一日雨だったが、月曜になるとまた晴れ上がる、甚だ恨めしい天気である。


23日の今日は中国では旧正月らしいが、乾燥が続く日本ではインフルエンザの猛威が現れ始めている。外出後の嗽(うがい)・手洗いを励行して冬を乗り切ろう。


ここまで書いてある漢詩を思い出した。杜甫の詩は悲痛なものが多く、掲載は久しぶりだが、これは結構好きな詩である。


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「登高」  杜甫


風急天高猿嘯哀   風急に天高くして猿嘯(えんしょう)哀し

渚清沙白鳥飛廻   渚清く沙白くして鳥飛び廻(めぐ)る

無邊落木蕭蕭下   無邊(むへん)の落木は蕭蕭(しょうしょう)として下り

不盡長江袞袞來   不盡(ふじん)の長江は袞袞(こんこん)として來る

萬里悲秋常作客   萬里悲秋(ばんりひしゅう)常に客と作(な)り

百年多病獨登臺   百年多病獨(ひと)り臺(だい)に登る

艱難苦恨繁霜鬢   艱難(かんなん)苦(はなは)だ恨む繁霜の鬢(びん)

潦倒新停濁酒杯   潦倒(ろうとう)新たに停む濁酒の杯


(現代語訳)

高台に登れば、風は激しく吹き荒れ、天は高く、何処からか猿の啼き声が哀しく聞こえてくる。

下を見れば渚は清らかに澄み、白い砂の上を鳥が飛び廻っている。

果てしなく拡がる山野には枯れ葉がわびしく舞い散り、

尽きることのない長江は滾々と流れ来る水を湛(たた)えている。

故郷から遠く離れたこの地で、流浪の旅人としてまた悲しい秋を迎えた。

生涯病気がちの身だったが、独りでこの高台に登ってみた。

恨むらくは、重ねてきた辛苦のため霜のように真っ白になってしまった髪の毛と、

近頃は病のため、とうとう好きな酒もを止めざるを得なくなってしまったことである。


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この詩は晩年の杜甫が自らの姿を描いたもので、その詩情は現在の私の心に通じるものである。違うのは季節と髪の毛の量くらいではないか。


でもやはり中国人は高いところに登ることが好きらしい。


流離の翻訳者 果てしない旅路はどこまでも-clump of trees