「峨眉山月歌」 李白 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

「特牛」と書いてなんと読むかご存知だろうか?特に牛肉の特売日には関係ない。実はこれは山口県内の地名で「こっとい」(”Kottoi”と読む。


人名と地名は読めなくても決して恥ずかしいことではない。読めるわけないのである。


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今日は溜まっている仕事を片付けるために午前中から3時間ほど出社、一段落したが次の仕事のため明日も半日くらい出社することになるだろう。商売繁盛は結構なことなのだが・・・。


仕事を終えてから日暮れすぎまでまた少し車で走ったが、久しぶりに夕日が日本海に沈むのを見た。本当に綺麗で車を停めて見ている人、カメラを固定して撮影している人も多かった。


空が晴れ渡り澄んでいたので、太陽のオレンジの炎が海に落ちて消えてゆく瞬間までくっきりと見ることができたが、果たして50年以上に亙る人生で今までに何度見れたことだろう・・・。


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漢詩に「明月(名月)」を詠んだものは数多い。この李白の詩も相当有名なものである。


「峨眉山月歌」        李白


峨眉山月半輪秋       峨眉山月 半輪の秋

影入平羌江水流       影は平羌江水(へいきょうこうすい)に入りて流る

夜發清溪向三峽       夜 清渓を発して三峡に向ふ

思君不見下渝州       君を思へども見えず 渝州(ゆしゅう)に下る


(現代語訳)

峨眉山に上弦の月がかかる秋の夜、その月光は平羌の江水に映り流れてゆく。

夜中に清渓を舟出し三峡に向かううち、あの月をもう一度見たいと思ったが、月を見ることができないまま舟は渝州へと下ってゆく。


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この「君」「月」であると同時に李白の「意中の人(女)」を指すと解釈されている。


流離の翻訳者 果てしない旅路はどこまでも-Mt. Gabi